旅4 昔の記録


TheManFromUtah  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 2月19日(日)18時54分57秒 
主演はジョンウェイン 百円ショップダイソーで315円のDVD買った。ロデオ大会の様子などなかなか見応えのあるカウボーイものというかジョンウェインはやっぱりいいね。  
 
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アラモと新アラモ  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 2月19日(日)12時08分10秒 
アラモと新アラモ
子供の頃 父親に連れて行って貰った映画は、アラカン、大河内伝二郎からベンハーまで数知れないが、アラモとエルシドが印象深い。
1960年代に作られ、公開されたアラモはてっきりブラザースフォアのアラモがそのまま映画の主題曲だと思っていた。リサリサテネシーベイブのフレーズ、ヒアスツーザレイディ、など子供の頃に一度見ただけか、その後TVでもやったかどうかほとんど記憶がないが、図書館で借りたビデオに向かし感じた感動させる部分はああココだ。と同じ感動を生み出される。ジョンウェインのこの映画はハリウッド映画の大作の本道だろう。今のハリウッド映画のネタ切れ現象は気の毒だ。アラモのリメーク版というか最近作の新アラモはより史実に近づけたのだろうとは感じたが、あの名曲が全く聴けなかったのは期待はずれ、40年前なんだから著作権問題も解消していたんじゃないのか?聞きたかったね。盛り上げ方が旧アラモのほうが格段に上手だった。
もちろん子供の頃に気が付かなかったトラビス大佐の以外と言い奴に描いている事など旧作の深みはわかった。また、トラビスが190人近くの人々を特攻隊のように犠牲にしたアメリカ戦争史の英雄であること。ジムボウイが撤退していたら戦争史では英雄に残れなかっただろうこと。アラモが真珠湾攻撃をうけるまでアメリカの「この恨み忘れるな」のシンボルであっただろうこと。
戦争史の暗部さえもがこの映画のエンターテインメント娯楽性をもりあげるのにプラスにこそなれマイナスにはなっていない。このような感動大作ひさしく見ていない。   
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映画「有頂天ホテル」  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 2月19日(日)11時47分6秒 
映画「有頂天ホテル」は三谷幸喜期待をはずさないうまい喜劇。今、質のいい喜劇を書けるのは三谷幸喜くらいじゃないか。政治家役の佐藤浩市?だっけ三国連太郎の息子、あの揺れ方、松たか子の突っ込み。うまいね。アルドンサ役も好評だった松たか子。三谷幸喜はあれだけの沢山の主演クラスをそろえてうまく全員に出番を作っている。それだけでは面白くできない巧い脚本だ。三谷曰く主役は強いて言えば「あひる」だって。   
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田無警察署長が  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 2月19日(日)11時37分3秒 
田無警察署長が桜木市議に池田とはどんな人間かとか聞いたそうだ。共産の渡辺さんも同席していた。桜木さんという池田の天敵に聞くのも意味深だが、桜木さんはそれを公明の甲斐議長にふったそうだ。甲斐さんは応えずに席をたったというのが桜木さんの言。「「警察は池田はしょっちゅう海外に行っている」など何でも知っている」と桜木さんは言うが、池田はこれにも書いているようにしょっちゅう海外や温泉にいく。休んでこそおもいっきり仕事が出来る。中途半端に休みをとってもいい仕事は出来ないぞ。   
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サンタモニカ行けばいいじゃない  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 2月 4日(土)09時01分21秒 
サンタモニカ行けばいいじゃない。ってTVCMでやっているけど、やっぱりサンタモニカビーチはあのCMよりもずっと奥行きがある。車で桟橋の上に乗ったまま海にせり出す。桟橋そのものが商店街になっている。ボードウォークも長いし、砂浜も幅も奥行きも日本の砂浜では雰囲気が出るわけない。   
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ドイツスイスパリは下の写真  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月23日(月)11時31分1秒 
後からいろいろ廃止予定フォトハイウェイから移動中のため最新内容が下にあります。
これは有料から無料への移行も可能な親切な掲示板です。フォトハイウェイは削除される為移動しています。もともと無料で初めて途中から有料にしたフォトハイウェイ。無料もできたが戻れない。また掲示板に悪戯書き込みが多くて一件ごとに削除するのも不便、それで中止することにしました。   
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廃止予定先から移動中  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時36分42秒 
[70]  やんばダム現場視察 - 発言者:池田治夫  2005年11月8日(火) 20:23    返信
八ツ場ダム工事箇所 写真参照

ここは岩盤がもろくて建設省が認めなかった場所。それがいつのまにかここに戻ってしまった。吾妻渓谷を守るためにといってももろい岩盤に造られたダムの危険は現実に経験がある。結局ダムを作って水を入れられない大滝ダムの経験を忘れるな。


[69]  大滝ダムの亀裂 - 発言者:国交省HPから  2005年11月8日(火) 20:19    返信
大滝ダム白屋地区地すべり対策工概略設計について


白屋地区地すべり対策の概要
白屋地区は大滝ダム上流右岸4.6km付近に位置し、平成15年3月から実施した大滝ダムの試験湛水中に地すべりが発生しました。そのため、試験湛水を中止し貯水位を低下させ、現在のところは、地すべり現象は沈静化・安定した状態にありますが、現状のまま貯水池(ダム)の運用を行えば再び滑動し、大滝ダムの運用に支障が生じることが予想されるため、地すべり対策を行うものです。
本対策は、大滝ダム建設事業の一環としてダムの機能を発揮させるために必要不可欠なものであり早期の完了が望まれています。
なお、本件事象については、「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会(以下「委員会」という。)」において地すべり機構の解明と対策工の検討が行われ、平成15年12月には対策工の基本検討の結果が示されているところです。

この地すべりの概要及び委員会資料については、紀の川ダム統合管理事務所ホームページ
URL: http://www.kkr.mlit.go.jp/kinokawa/ を参照してください。


業務概要
白屋地区地すべり対策工については委員会で行われた基本検討の結果が示されているところではありますが、より一層のコスト縮減、工期短縮、を図るためには、幅広く技術提案を募り広範な技術情報を基に検討を行うことが必要であると考えています。
このため、これまでに行った各種の調査結果、観測記録、委員会資料等をもとに、委員会の基本検討結果から更なるコスト縮減、工期短縮を図ることができる対策工の提案を行い、特定された提案についての概略設計業務を行うものです。
なお提出された技術提案については、実現性等の審査を行った後、優位な提案が複数あった場合には、それぞれについて概略設計を行う予定です。


業務内容
貯水池地すべり対策工概略設計業務
工期:契約の翌日から90日間
履行場所:奈良県吉野郡川上村白屋地先
業務量の目安:2千万円程度を想定しているが、現地調査、試験の追加実施等により業務量の大幅な増額が必要となるものについてはこの限りではない。


[68]  さかい新事業創造センター - 発言者:池田治夫  2005年10月30日(日) 21:12    返信
研究会と視察で全面的にお世話になった堺市が自信をもって紹介してくれたセンターを悪く言いにくい。しかし本音の批判を。資本金17億4000万円を堺市、中小企業整備機構地域公団、堺商工会議所の共同出資で株式会社にしている。毎年委託料で8000万円を市が支払って、3期目で黒字400万円でた。と言っていたが実質7600万円の赤字ということ。データセンターのサーバーは立派な物らしい。ハードの陳腐化リスクは。と聞いたがメーカー持ちと言っていたがそれだけ高いリース料を支払うということ。極めつけは、写真にものせたが、延べ床面積4186m2の建設費よくよく調べたら8億円とどう見ても相場の軽く倍はかかっている。
坪単価63万円 重量鉄骨造り坪単価29万円設備費込みの広告もでる中で坪30万円するかしないかの建物。ここでも税金の垂れ流しか。堺市からの委託料なしで経営するべき施設のはずだ。これでは株式会社とはいえない。それでも堺市さんには大変お世話になりました。御礼申し上げます。


[67]  堺の間違い - 発言者:池田治夫  2005年10月30日(日) 20:59    返信
地方自治経営学会が堺市政令指定都市発足を記念して堺市で行われた。市川市のコンビニでの住民票などのやりとり。三鷹市の人事評価制度など近場での先進的事例を自費視察で改革派市議のみなさんと行っている。その事例も市川市は税金の使い道を市民に投票してもらうという方法。先進の人事評価を鳥取県が行い3年越しで勤務評価が最低の職員5人中3人を自主退職させたことが大きく取り上げられた。12月にも9月の質問に続けて市議会で質問したい内容だったので参考になった。以下現場での走り書きのまま。


[66]  境 地方自治経営学会 研究会と視察 - 発言者:池田治夫自費参加夜行バス  2005年10月28日(金) 13:21    返信
地方自治経営学会 市川市 少年野球自分たちで井戸をほって散水施設をつくる 1/2の補助 60万 お金の効果を説明しなければならない 団体としてきちんとやっていく姿勢がかわってくる。
外の補助金を全廃したのか (縮小はあるが残っている つけるべきところには つける)
大きな団体に投票が多いと思うが 目立たない団体に影響しないか (効果として 目立たない団体もある それを広報するので ケーブルtvなど 機会が増えた 説明会でこれじゃ勝ち目がないといってきた団体もある 逆に地域に根をはっていくため 勝ち負けではない 市民の信頼をうけていく)

(裁量権で2ー3%とはなっていない 審査会の結果
年度末 領収書も公開)

pr経費260万 広報紙500万 高齢者など地縁自治体の補助金のバランスは? 自治会補助金を削減して不特定多数の公益につながる事業は自治会が提案してもOK

50分 市長の決断 ハンガリーの%法 から
庁内トップダウン 補助の効果結果を見て。

長野県ゼロ予算事業
4000おくから1200おくに減少
安曇野で133おくから30おく
委員会採択 黒沢川脱ダムなのにと本会議で不採択
になったのでゼロ予算事業になった
話題性があった 採石 木材チップ チップと採石をたたく作業を住民にお願いしている
カヌーのメッカ カヌーにどうつなげるかの問題意識
作業に参加することが目的か 官と民というがカウンターパートナーをつくる努力がこれからの課題
始め1回目は182名参加 知事の側近 2回目37名
一般参加57から11減った 25円 3回目一般参加18名 県から10名 地元25名 よろずいがわをどうするのか  ボランティア育っていない
来年は茅野市安曇野も近い せせらぎの小道
舗装で3000万円予算が否決 10万円 職員の人件費

一財の住民税を特定財源にするのに問題視されなかったか
住民にお金をくばるのがいいのか 住民がたちあがってきたら お金を配るのは古いんじゃないか
(議員からあった。納めた税の使い道に声をあげる 目的税ではない)実質目的税だ 神野教授からも税の不公平感と批判 住民をバックアップする 3000万円を市民がきめている。今までの行政の配り方。市民が制度を支えて行く。新しい。

市町村にも声をかけるが県で 3市町村がだしずらかったかもしれないが 地元の自治会にも声をかけていく

税の改廃 役所だけがやってきたことに新しい可能性だ。坂田先生は古いんじゃないか。
地元で住民を巻き込んで自治能力のある住民と協力して普遍化してほしい。

納税は高まったか 収納率はあがった 検証はまだ スパンをみたい  はじまったばかり

勤務評定の位置付け 鳥取県
全職員が対象になる
h15年 職員組合と話し合い
評定4原則 公正性 評定者の研修毎年開催
自己評定 を行うのが
透明性の確保 ヒ評定者への開示 説明責任 評定者の複数設置 係長 課長 上司の評定もする 納得姓 確保 10/1評定 2回面談 評定結果の開示 根拠説明 人材育成の場に
不服な人の苦情相談窓口 組合とは わたり廃止 交渉大事なこと 公務員バッシング 県民に納得姓のある給与体系になっていない。話し合い密室 それが制度かで不信感の現れになっている すべてオープン 現場は非公開だが内容はすべて公開 適当なところで手をうつことはできない 勤務評定もそういうばで
面談とう 評定結果の活用 鳥取県の場合
給与の反映 定昇ストップ 勤務成績に応じて 傾斜配分
3点目 悪い職員を 訓練教育プログラム 5段階 最低は1年間再訓練 1年の教育プログラム 再評価で16年度の再評価で最低に人に退職をショウヨウした。

池田の質問
三鷹市の人事評価制度を視察してきた 先進的だったがさすがに建設工事の単価表まで公開している鳥取県の制度には少し及ばない。課長以上の希望降格制度はあったとおもうが上司の逆評価はなかった。東久留米では組合が強く、組合の言いなりの議員が社民共産だけでなく民主、自民の一部までいる。(鳥取県議会では給与も見直し決議も出ていて表立って組合交渉に反対する県議は一人もいない)職員課長も総務部長も組合の顔色を伺うようでは人事評価職員の綱紀粛正もままならないが、組合との交渉について非公開情報は一つもないのか。賃金交渉も公開か。(すべて公開している。行政執行部は交渉経過の全面公開を求めているが、組合の合意が得られないので次善対応としてhpで全面公開している)

住民参加 市町村が行うのは市町村の仕事ではないか
市町村が


[65]  もう一つの信州モデル。ゼロ予算事業視察報告 - 発言者:忘れていた報告  2005年10月7日(金) 13:22    返信
市議会に報告を出してくれと馬場委員長に頼まれて送った中にこれを入れ忘れたので再度追加で送信。

もう一つの信州モデル。ゼロ予算事業視察報告

7/19 コンシェルジュの出迎えを受けて市長室前の田中知事の立て看板前で写真を取ってから。会議室へ。

穂高町万水(よろずい)川の堤防道路W3mの舗道整備。田中県政の目玉として県議会に説明。
そのためか県議会はその部分を否決。そこからゼロ予算事業が始まった。
安曇野わさび街道に並んで流れる万水川。そこの工事の様子は職員の働きでほとんど
やっているように見えますね。ときいた。やはり専門的な工事は職員が行っている。
市民の協力は固めた堤防の上にチップを敷き詰める作業を進めている。
人件費こそが最大の事業費との発想からはじまった。
職員自ら汗をかき、知恵を出して進めていくゼロ予算事業。予算が無ければ事業ができないという固定観念を捨て、職員一人一人が、県民の求めるサービスのために、意欲をもって力を尽くしています。であり3年目になる今年は200近い事業が各地から考案され名乗りを上げている。東久留米でもゼロ予算事業に対する職員の意識も理事者側の認識も強まってきている。金が付くことが事業の目的という今までの市政運営のやり方に根本的転換が求められ改革へ進まざるをえない状況になってきている。

ゼロ予算事業のコストはどうなのかと池田は長野県の担当者にきいた。職員が時間外労働で民間委託よりも高く付いている場合もあるかもしれない。金額面の詳細は調べていない。とのこと。
池田は知事にきびしい議会がゼロ予算事業のコストを確認してこないのかときいた。ないとのこと。

入札改革への長野方式の変更。予定価格の事前公表を廃止したことはおかしい。と池田はクレーム。
普通は視察先へ失礼な質問はしないのが礼儀らしいが、池田にはそういう心遣いができないもので率直に言ってしまう。予定価格の事前公表の廃止をすると今までの業者と役人のおいしい関係(情報漏洩にまつわる汚職)が復活するじゃないですか。ときいた。さすがに役人が悪事を働くという前提に立っていない社会通念のなかで、長野県職員のみなさまにはムッとしたようですが田中信州知事の改革に希望をみいだして、東久留米市議会でも長野改革を東久留米にという質問を続けてきた池田のひいきの引き倒し、勇み足とお許しください。


[64]  長野県庁経営戦略局 - 発言者:池田治夫  2005年10月6日(木) 20:33    返信
19、20の建設委員会視察は久しぶりに中身の濃い視察だった。
長野県で予定価格の事前公表を止めたと聞いて、池田は長野県の
担当の方にそれじゃ昔ながらの業者と役人のおいしい関係が復活
するじゃないですか。と聞いたらさすがに相手もムッとしていました。
県でも積算能力がないんだって。ならば当然、東久留米市の建設課に
あるわけない。ということだ。池田の入札改革論は市議会の討論で
ご覧ください。日本で一番進んでいると自称する改革論です。
東久留米の議会事務局は昔、池田が視察先に失礼なことを言わない
ように釘をさしていましたが、今の担当者はもう慣れたとのこと。
結構、結構。きょうは東久留米市に下田市議会のかたが行政評価のこと?
で視察に見えていました。東久留米市の改革が他市にも評価され始めています。


[63]  長野栄村視察報告 - 発言者:池田治夫  2005年7月22日(金) 21:34    返信
栄村の視察
補助金なしの道路建設が視察内容である、栄村HPで「栄村将来像モデル」を見ていたのでさらに問題意識は深まっていた。平成20年度を目標年次として「受益と負担の原則にたって、できる限り自主財源の確保に努める」とある。
地方交付税の割り増し交付が人口一万人の町村まででうち切る国の合併促進策に対抗する栄村の合併よりも将来像を検討するという姿勢は前向きである。

公共料金は軒並み上げているが、全国自治体が引き上げを決定した中で栄村が介護保険料を月200円の値下げをしたアナウンス効果は絶大である。

議院定数策削減16を12名に。報酬を3割削減。これは村長以下の特別職も同じ。
職員は92名を85名に。職員報酬を15%削減。

村営スキー場は補助金3500万円をゼロへ。
村営宿泊施設はすでに自立し、一般会計からの繰り入れはなし。理事長報酬もゼロ。

すなわちやるべき事はほとんど行っているということではないだろうか。
改革とは身を削る作業を行わなければ切実さはうまれない。納税者への負担の転換を行ってきたのがいままでのほとんどの行政側の行ってきたことだ。
納税者が払ったあとの税金の使われ方は少しでも自分に帰ってくるバラマキ施策を求めてきた以上、放漫財政は市民共通の原罪とも言える。

栄村の自立への苦闘は東久留米市でも十分に学ぶべき内容と考える。

補助金なしの道路建設は補助金の基準が過大な公共工事を強要するものであり、補助金を受け取っても過大な工事にしなければならないため2倍以上の無駄な支出を必要とするため村独自の工事をすることにしたという。時間の関係で実際の現場を見ることができなかったのが残念ですが宿泊施設の現状は実際宿泊したので有る程度見えました。宿泊施設の行革には不断の努力が必要と感じました。


[62]  スポチャン - 発言者:いけだ  2005年6月3日(金) 14:47    返信
その日はわんぱく相撲の日にかさなった。本物のお相撲さんも来て子供に相手をしていた。池田もプロがどのくらいかやってみたかったが、相手が手を抜いても殺されそうなので止めた。スポチャンは4月から2ヶ月ぶり。たまーにしかやらないから弱かった人に若くて体力があるから4本のうち3本負けた。でもこれが面白いんだな。


[61]  海外移住について - 発言者:ikeda ハルオ  2005年5月6日(金) 14:13    返信
以前は、日本の物価に比べ海外でもアメリカやオーストラリアの物価でも安かった。しかしながら最近の日本の規制緩和、デフレ状況を見ると100円ショップの製品で暮らせる池田にしてみると以外と日本も住みやすくなってきた。ブルガリアと言われても生活するイメージがわかないし、南アフリカの気候は良いけど、物価はそんなに魅力的じゃないし、日本での安くてうまい回転寿司なんかはどこの国へ行っても見たことない。やっぱり日本で骨を埋めるしかないな。日本はやっぱり世界で一番住みやすい。海外で頑張っている皆さんには大いに頑張って欲しいが。。   
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廃止予定先から移動中  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時31分37秒 
[60]  ハタリ! - 発言者:ハタリイケダ  2005年4月28日(木) 10:17    返信
アフリカの続き。必見の名作。
子象のワルツだったかヒットした映画音楽も印象的です。
ハタリ! と言う映画をご存知の方は少ないと思います。1962年日本公開ですから。子供のころ父に連れて行って貰った、ジョンウェインの猛獣狩りの名作です。
図書館ぐらいしかないと思いますが、サファリというとあのイメージでしたのでユニバーサルスタジオの遠見の見物のようなゲームには物足りなさを感じてしまう池田です。



[59]  喜捨について - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 05:52    返信
低開発国に行くと必ず乞食が寄ってくる。日本人には乞食は嫌われている。イスラム諸国では貧しい者が豊かな者から助けを受けるのは当たり前。相互扶助の世界とでも言うのだろうか。池田も大金を持っているわけではないが、低開発国の乞食に比べると金持ちになる。当然、自分が出会った乞食に小銭を与えることはその機会を与えられたことに感謝している。それこそ一期一会であるのだから。インドではワーと寄ってこられたが、かつてサンディエゴからメキシコのティワナに入ったときに道であった乞食、1$くらいの小銭を膝を屈して受け取る姿に気品すら感じさせた。先日のケープタウンのwaterfrontでの薄暗い時間にボロをまとった黒人の男がぬっと前に手を出されたときは他にも2-3人いたので少しひるんだがポケットに5ランドコインがあったのであげた。ごろつきのような容貌の黒人だったが、とても丁寧にお礼を言ってくれた。当たり前と礼も言わないイスラムも結構だが、丁寧にお礼を言える乞食はこちらの自己満足を充足させてくれる。感謝。 (ザウルスに入れていた記録はまだ転送していないのでこれから続く)


[58]  アフリカ3-4日目 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:07    返信
20050421PRETRIA UNIONBILL 開拓者の碑。レリーフは興味深いし、見晴らしも良い。地下の展示物も面白い。しかし原住民を極端に凶暴で謀略に満ちた存在に描いているのはアメリカの西部開拓と同じ。幌馬車が牛に引かせていたのが違いという。ZIMBABWEの公務員が荷物から電子辞書を抜き取ったと思ったのは池田の勘違い。申し訳ない。ISRAMABARDだったかPAKISTERNの公務員に昔、賄賂を請求されたこと、VICTRIA FALLSの公務員がD-SNAPをくれというようになかなか返してくれなかったこと、入れておいたPOKETが閉め忘れていたため預け荷物に移していたことそのものを忘れていた。添乗員さんにはご心配をおかけした。
TABLE MT.ロープウェイにのる。床が回転する景色が公平に見える。頂上はごつごつの岩場を歩く。喜望峰を遠望し、しばらくみとれた。時間を使って回れず。りすのような小動物、池田が座っているとデジカメをなめにきた。かじられないように指は出さなかったが、人が集まってきたので離れてしまった。WATER FRONT.WINE15R 19R 19R スーパーで買った。自由時間、始まって先に重いものを買ってしまったので行動できずに無駄に時間を過ごしてしまった。夕食のイタリア料理店はクリントンもプーチンも行ったという店。それなりにおいしかった。夕食後SOUTHRN CROSSを見あげる。VICTRIAFALLSのRAINBOW HOTELで見あげた南十字星のほうがはるかにきれいだった。ブラジルではさらに満天の星空だったが。最後の2泊はカジノのホテル。GRAND WEST LOGE 各部屋はバスタブとシャワーが別。新しい良いホテルだった。連泊の時ベッドのシーツがまた巻き込まれていることが大嫌いな池田は必ずPLEASE DONT TOUCH MY BED.I DONT NEED TOWEL CHANGE.と書き置きして1$置いておくのだが、ここのホテルはTOWEL CHANGED.BED WAS MADE.字読めなかったのかな。帰ってカジノへ。スロットマシンはいつものように金をすいとるだけ。ブラックジャックのやりかたを教えてもらおうと200R負けた。そのあと少し取り返したと1O$返してくれた。KUさんGAMBLEに余り熱くならないように。池田のGAMBLEはバブルの後の金の取引。随分老後の蓄えを持っていかれた。現物から先物に切り替えさせられたのが大間違い。エース交易という詐欺商法同然の会社にしてやられた。損切りを速めに決断するべきだった。


[57]  アフリカ2-3日目 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:06    返信
20050420朝MOSIOATUNYAにいく途中のMOANAとかいったBOZUWANAのCHOBE NATIONALPARKにあるMOANAHOTELの中庭にも大きなMOANA,BAOBABU TREEがあった。それよりも大きい。BIG TREEと呼ばれている。そこで売り子昨日買った同じタイプのBIG5彫刻と象一つの彫刻2つを売りにきた。値段は20US$象は10US$.この売り子はやすくしない。珍しい。誰も買わない。VICTRI FALLS,MOSIOATUNYAの入場料が地球の歩き方南ア98ー99年版にはZIMBABE$100とかいてある。今は30US$.このツアーは食事も入場料も含まれている。その時代は知らないがは外国人はZIMBABE$もてない。だか両替していない。インフレが激しいらしい。エイズは人口の6人に一人らしい。これは南アの現地ガイドの田部井さんの話。BOTUWANAは4人に一人。南アは9人に一人。エイズのおかげで食糧危機が少しさきのばしされたとも、凄い話もしていた。20050421のPRETORIA市内観光は彼が担当。
話し戻ってMOSIOATUNYAの見所続き。はじめは雨具など全く不要だったが、段々と右側に進むにつれてFALLS SPRAYが激しくなる。段々と興奮してくる。カメラを今度は駄目にしないように。カバーして写す。DANGAROUS POINTでは興奮も最高。参加者同士で写真を撮りあうなどできる余裕も無い。滝壺にすべり落ちる危険な岩場。何人が死んだりするのだろうか。岩には苔も生えている。左を見ると虹。水中カメラの一台目は終了。そのあとZAMBIA BORDER BURIDGEを見てBANJY JAMP誰もやっていないのを見届けて帰り道。滝の見物側からBANJY JAMPの所には直接行けない。実はやるつもりで100US$TCを用意していたのに。。。帰り道は来るときよりも近道のはずなのに結構遠い。先を行った人達がなかなかつかまらない。道を間違えたのかとも思いながらどんどん進んだら道の真ん中に猿がいる。2ー3匹だったのが先を行くと群れでいる参加者が2人停まっている。猿を見ているのかと思ったが私も恐る恐る通り抜けると猿もどいてくれる。日本人は餌をもらおうと人間に襲い掛かる猿を見ているから団体でも怖がってしまう。池田がバスに戻っても後に続いていたはずの10人ぐらいが随分と遅くなったのは猿を恐れてのことだったようだ。あわててホテルに戻る。初日に行けなかった人達が10:00から11:00ぎりぎりにもどってきた。出発15分前にホテルの外に出ると運よく物売りがきた。昨日のマーケットで買ったょりも良いものを安く買えた。JOHANESBURGのダイヤモンド販売では暇だったのでガイドの田部井さんと色々話をしていた。奥さんは現地人。子供は日本語を話せない。日本に帰るつもりはない。PURETRIAの南郊外に住み、年金の資格はないこと。選挙権もない。んー。


[56]  アフリカ初日 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:05    返信
20050417成田発5時間で香港マチ2時間 から13。5時間でジョハネスバーグヘ
2005041718
およそ1万円を500ランドジョハから1時間でビクトリアフォールスのジンバブエの入国審査に25人1時間かけるジンバブエ時間のすごさ。驚嘆。日本の公務員もびっくり。ヘリでの滝観光結局16人もの希望者がでたのであさってもやることになった。ヘリ95$15分からの俯瞰は私にはイグアスよりも感動するくらい。峡谷の深さが美しかった。 ジョハネスバーゲでVITORIAFALLSに乗り換えで待っていたとき、SMOKIGROOMにいくと店員がいて注文取りをする。成田などどこでも喫煙は狭い牢獄に閉じ込められて吸うのでホテルのロビー風で大満足。ビールは10時かだというのでカプチーノを頼んだ。14ランド約280円。頼みもしないケーキをつけてくる。まるで無料で付いてくるかのように。実は15ランド。水を持ってきたのを下げたので持ってきてと頼むと今度はボトルで持ってきた。14ランド。変な押し売りしなければTIPあげても良かったが、頭きてやらなかった。外の人はわからなかったので29ランドに米ドルで10$払ったといっていた。800円くらいがTIPにされたということ。すごいね。ちょっとした暴力バーだ。そのあと若くてかわいい添乗員の飯沼さんとお茶を飲んだ。添乗員は何といっても気立ての善い若い美人に限るね。スペインの時も若い美人系だったけど結構いいかげんなこと言っていたのと性格悪そうなので話もしなかったな。20050419ヘリコプターは添乗員とガイドに頼んで時間の隙間をつくってもらったけど明日の乗馬は朝8:30ということで無理だった。ま。コロラドでは25ドル1時間がここでは2時間50$とのこと。19日のCHOBE国立公園のJEEPSAFARI&BOATSAFARIどちらもよかった。河馬と象バッファローは迫力あった。昼食のバイキングもMOANAHOTELでのバイキング。いっぱいみかけたIMPALAもおいしく食べた。バッファローとCOWの違いはかなり実物を見て分かった。しかし混血の家畜、牧場の牛も多いようで角がバッファロー風の牛が多く着いた時にガイドが牛だというのをバッファーじゃないかと思っていた。JHONWAINのHATARIを思い出すがハンティングが大変だった5種類をBIG5といっている。象を頂点にライオン、豹、バッファロー、犀。土産物をVICTUIAFALLSに戻ってからバラックの市場で買い物をした。みんなはじめは恐る恐る入っていったが、45分を過ぎてもなかなか戻ってこないくらい色々買っていた。欲しくなったら負けさせるが難しい。尤も、彫刻物も2ドルというのを結局7個5ドルにさせたのが最後に6ドルにされてどうもポケットに入れた1ドルも抜かれたみたい。袋に入れると見せて一個抜き出すのもベトナムでTSHIERTSを買うときに抜かれた経験でマジシャンのような手の動きに気が付いて取り返したのが、ま楽しい買い物といったところ。ばれたと大笑いしていた売り子たちはポケットからも1ドル盗む技術くらいはありそうだ。でも今、見直してなかなか立派なものだ。時間間際にBIG5の置物250ランド5000円という売り子のやつはなかなか良いもので気に入った時点でもう負けていたが、140まできたので100ランドなら良いと買った。でもポケットの10米$を見て100ランド&10$とか5$とかいう。でも100ランドを離さないので品物を持ってきたが根気に負けて5$追加で取られる人もいるだろう。添乗員は値段は高く買った人が落ち込むから言わないでといっていたが、池田は自分の甘さを知るためにも大いに金額を言い合うほうが良いと思う。そもそもホテルの金額の目安も書けないガイドブックなんて中身が良い加減。ガイドブックの信用度は金額がどこまで書かれているかだ。池田の旅行記も金額を抜きでは何の参考にもならないとおもいできるだけ細かく記録しているつもりだ。夕食はグラスワイン肉を食うときは赤と決めてみんな赤を頼むと池田は白にする5$。BEER4$.激しい躍りの横で木彫り売っていた。土産用にかいたせばよかった。躍りに圧倒された。夕食は楽しみにしていた虫などの下手物はなかった。OSTRICHといぼいのししFORESTHOG.結構いける。丸焼きはRAM.パリパリしてうまい。アフリカはおもしろい。
ここレインボーホテルはホテルの部屋番号と部屋の電話番号が違うという珍しいホテル。おかげで添乗員の部屋電話番号と池田の番号が違うため間違い電話が作朝5時と夕方と続いたので分かった。
20050420は7:45-10:00VICTRIAFALLS DANGEARAS POINTは最高に興奮した。世界最高の滝だ。来て良かった。始めはRIVINGSTONEの銅像にいき滝の右側から見る。あまり良くない。次ぎ70段ほど階段を降りる。水煙しか見えない。このままつづくの?でもないらしい。段々、滝の左側方向へ見る場所を移動していく。同行のツアーの人達と写真を取り合いながら余裕をもって滝のすごさを実感していく。RIVINGSTONEが何泊かしたという滝の真上の島それなりの大きさがあるがでもあの滝MOSIOATUNYAの高さ108M水量5億トン毎分。別紙に名ツアコンの飯沼さんの日記にも掲載。


[55]  54歳引退論を見て - 発言者:池田治夫55歳  2005年4月27日(水) 00:02    返信
20050420いよいよVITORIAFALLSの足元に近付く日。MOCI OR TUNYA というのがLivingSTONEが現地に行くまでの現地名。今日は2時半に起きてちくま新書54歳引退論を読み終えた。戦前の三井物産から戦後財閥解体後のニットレで取締役貿易部長で引退後池田の会社を手伝ってくれている時68歳で直腸癌再発で死んだ父親を偲ばせる内容だった。著者布施克彦さんもナイジェリアなどの途上国勤務が多い人で、とくに133Pの「戦後まだ信用を得ていなかった日本製品を担いで、世界市場を開拓した私達の先輩ビジネスマン達。日本にもかつては、異文化に揉まれ、異文化と堂々と渡り合った逞しい人達がいた。」のくだりは父親を思い出してなぜか文字が滲んでしまった。戦後はプリンス自動車や東芝の製品を世界に販売拠点を求めて出掛けていった父親の思い出が蘇る。遺されたアルバムにも中近東のプリンスの代理店開拓は父親の活動が見える。そういえば今でも入国ができないサウジアラビアにも行っていた。UEAやイタリアに行ったのも死海やマルタ島にも寄った父の思い出をたどっているのかも知れない。多分父はVITORIAFALLSにはきていないだろう。
54歳引退論にもどる。後書きにある「静かなる革命の書」はほめすぎだろう。思いは共通するところ多いが、P212の「54歳転換は早過ぎない。青臭い世直し革命気分はすでに消えている。遅すぎない。憂国的たわごとを撒き散らす老害はまだない」にはすこしうまくまとめ過ぎだと言いたい。池田は55歳になってもいつまでも青臭い革命気分のままだ。老害云々はむしろやらない理由や先送りの口実を捜し出すのがうまい老害こそ池田は弾劾する。あ、池田が老害?


[54]  写真整理 - 発言者:池田治夫  2005年4月26日(火) 00:53    返信
結構、写真整理も力仕事。PCで削除、向き変え、やっているだけで手の当たる部分が痛くなってきた。少し掲載するよりも別のHPを作ってしまおうか。


[53]  南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナ20050417-24 - 発言者:池田治夫  2005年4月25日(月) 00:08    返信
最大の滝モシオアツンヤVictriaFallsは水量が多くて現地訪問証明写真のようには見えなかった。危険な場所はコケと滝の水か台風のように吹き付ける場所。でも足を滑らせて死ぬ人は年に1人というのも以外だった。アフリカに24人ものツアーが組まれるとは思わなかった。それでも迷惑をかける人もなくスムーズに終了しただけでなく。臨機応変にヘリコプター遊覧のオプションを許可してもらえたこと。時間が出来たからと喜望峰の帰りにダチョウFarmによてくれたり添乗員の飯沼さんの能力のおかげで良い旅ができました。詳細と写真は後日アップします。


[52]  べた雪の翌日はまた吹雪き - 発言者:ikeda  2005年3月27日(日) 09:51    返信
委員会のあとまた日帰りのつもりでスキーにいった。大雨のあとのべた雪のため途中で何回も転ぶ。ワックス固形ではべた雪はだめだな。全天候型ワックスで翌日も挑戦。今度は吹雪。朝には車に30cmは積もった。圧雪車もスキー場全部をカバーしていない。昨日は普通に越えた段差が50cmくらいの新雪で板が下にもぐって見えなくなった。すっかり風邪をひいてしまい、2日間寝込んだ。今、あわてて明日の討論を書いている。


[51]  ひーちゃんのスキーデビュー失敗 - 発言者:ikedaharuo  2005年3月13日(日) 11:55    返信
あいにくデビューには厳しい寒さ。他の子供たちはスキーしていたりソリで遊んでいたが、初めてのスキー場で梅干しをかじったような顔のひーちゃん。「ちゃむい」「目がちゃむい」外に出るのも「いや。いかない」帰り間際に少しソリで遊んだが、その後はさらに吹雪の状況。チェーンが必要な車には雪の中で取り付け。雪が無くなった泥の路上での取り外しと結構帰るのに時間をかけてしまった。ややっぱりこの時期には4輪駆動で行くべきだな。   
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(無題)  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時29分38秒 
1986年5月に、ハバード氷河は山脈から下降して急増しました、 出口の閉鎖 ラッセル・フィヨルドおよび作成する「ラッセル湖」の。その夏中、新しい湖は流去水で充満しました;その水位は、25メーター上昇しました。また、塩分の減少はその海洋生物を脅かしました。

10月8日の真夜中のまわりで、ダムは崩れ始めました。次の24時間で、概算53億立方メーターの水はギャップによって噴出しました。また、フィヨルドはその前のレベルに海洋に再度接続されました。
http://edcwww.cr.usgs.gov/earthshots/slow/Hubbard/Hubbard1985 から
http://www7.ocn.ne.jp/~w246/kyouizai003.htm 参考
クルーズの内容は
http://www.e-cruise.co.jp/04alaska/23radiance_alaska.htm
でした。



[43]  地球温暖化と氷河の崩壊 - 発言者:池田治夫視察報告  2004年8月30日(月) 23:50    返信
ハバード氷河20040825
この氷河を見るためにわざわざ「タイタニックアドベンチャー」などと揶揄されるクルーズ旅行に出てきたので最高だった。地球の歩き方にはHUBBARDGLACIERはのっていない。SKAGWAYのそばのGLACIER BAY NPについてこうかいている。「1794年、東南アラスカの海岸を航海中のイギリスの探検家ジョージバンクーバーは無数のTIDEWATER GLACIER直接海に流れ込んでいる氷河の中でも、ひときわ巨大な氷河を発見。高さ1200M,WIDE30KMmを越えていた。それをICY STRAIT と名付けた。それから100年後米国の自然保護活動の父JOHN MUIR がここを訪れた時、氷河は70Kも後退し後は波静かな湾が残されていた。そしてさらに100年の時を経て、我々の目の前にあるGLACIER BAYは、16の氷河が流れ込む、豊かな森林と数多くの野性動物が生息する国立公園となり、自然を愛する世界の人々にとって憧れの地となった。1992年ユネスコ世界遺産に登録。
温暖化は環境の変化を招く
地球温暖化が押し進めるものは、恐竜の絶滅した白亜紀に匹敵する急速な地球の環境変化である。
人為的な要因による地球温暖化の進行は、地球の歴史で最もドラスチックな生態系破壊(種の絶滅)のあったとされる時期、つまり恐竜の絶滅した白亜紀に匹敵する急速な地球の環境変化を招来する恐れがある。これは大規模な種の絶滅の可能性をも示唆している。恐竜絶滅の有力な仮説である隕石衝突による気候変動は、大量の粉塵やガスなどが長期間大気圏に止まって、急速に地球規模の気候の変動が生じたためとされる。 http://www.env.go.jp/earth/cop3/kanren/kaisetu/3-4.html
地球温暖化による海面の上昇
地球温暖化の結果、海水温度の上昇による海水の膨張が起こり、海水の体積が増える。また、氷河と陸氷の氷の一部が融解する。
地球温暖化の結果として、海水温度が上昇し、海面の膨張が起こり、海水の体積が増えることが予想される。また氷河と陸氷の氷の一部が融解すると考えられている。また、気温上昇の結果、海水の蒸発量が増大し、大気中の雲量が増加する。そのため降水量や降雪量の増大などの変化が起こる可能性がある。一方では、積雪によってむしろ氷河などが現在より成長するという考えもある。
温暖化によって海面が上昇すると考えられ、実際ここ100年ぐらいは徐々に海面の上昇が観測されている。一方、気温上昇は海水の蒸発を促し、大気中の雲量を増やし、降水(雪)量を増やすのでむしろ氷河などがもっと成長するという仮説もあるが、温暖化によって海面が上昇すること自体は間違いないと考えられており、2100年までには約15~95cm海面上昇すると予測される。
以下は http://www.mopas.co.jp/museum/03aw/azuma/030706.htm から引用
4日は、ヤクタク・ベイ(注)にあるハバード氷河を訪れる。
厚い流氷を押し分けてゆくと、海に浮かぶ氷同士がふれあい、チンチンと風鈴のような可愛らしい音を立てて舷側を流れてゆく。時としてドシンと大きな氷塊が船にぶつかる。
昨年はこの流氷が厚すぎて7キロほどのところまでしか近づけなかったと言うが、今年はなんと1200メートルまで船を進められた。ここまで近づくと、時々雷鳴のような響きが聞こえる。氷河の内部で氷が割れる音だ。
高さ6~70メートル、幅6キロにわたり海にせり出すグレイシャー・ブルーの氷壁の向こうに聳え立つ4千メートル級の山々が、その稜線をはっきりと見せている。こんなにも晴れ上がった空はめったに見られるものではない。

翌5日は、船長判断で予定コースを外してプリンス・ウイリアム・サウンドにあるカレッジフィヨルドを訪れた。
ここには26個の氷河があり、その奥、突き当りがハーバード氷河、そして右手は、エール氷河などアメリカの有名男子大学の名前が、左手には女子大学の名前が付けられている。
すでに北緯61度。オスロよりも北に上がっていて、今回の世界一周の最北限を航海している。気温10度、風の中に立ってカメラを構えていると、手がかじかみ、体のシンまで冷え込んだ。
自然が造る壮大な造形美と色彩、それを彩る動物たち。アメリカの国鳥、白頭鷲も見た。ザトウクジラが何度も長い胸鰭を上げている姿も見た。遠望するアザラシは、氷の上に寝そべるナメクジのようだと、ひとしきりデッキの笑いを誘っていた。
ハバードとハーバード二つの似た名前の氷河を連続して見た方の記録があった。結構探すのに苦労しました。

以下は英文の船室にあったガイドブックの機械翻訳です。強力なハバード氷河がWrangellStによって90マイルよりもっと拡張するHUBBARD氷河。Yakutat湾のあたまへのイライアス国定公園。1986年には、振動を始めた時、ハバードは大見だしで報じられました、振動、非常に急速に進むので、それは、完全に海からのラッセル・フィヨルドから閉鎖し、速く増加する淡水湖を作りました。奇跡的に、毎秒3.5million立方フィートの割合で海洋に突入する水にもかかわらず、重大な氾濫は周囲のエリアで生じませんでした。氷の壁は、結局通り抜けられました。また、氷フィヨルドが開かれました。それが進み続けるとともに、ハバードは、アラスカの最も活発な氷河のうちの1つのままです。(機械翻訳まま)



[42]  ジプシーではなくロマと呼んでいます - 発言者:池田治夫環境裁判へ第一歩  2004年3月23日(火) 22:49    返信
スペインにいったときジプシーって呼んでいなかったなと調べてみました。
*「ジプシー(およびこれに対応する各国の用語。例えばドイツ語でいう「ツィゴイナー」)」という用語について

「ジプシー」という用語は、差別的に用いられる場合がありました。またこの呼称で呼ばれる人たちと、「放浪癖」、「窃盗癖」といった概念を結びつけるといった、差別や伝統的偏見を助長させる恐れのある表現が用いられることもありました。

現在、国連機関などの国際機関は、「ロマ」もしくは「スィンティ・ロマ」の語を使用しています。ただし、こうした背景や歴史を考慮したうえで、「ジプシー」の語を使用している学術的な文章や、むしろこの語を使用することで自分たちに対する差別や偏見の歴史を訴え、差別撤廃を目指すという目的を持った当事者による自称など、差別的であると言い切れない場合もあることを否定するものではありません。尚、呼称問題に付いては、ダーバン世界会議の「資料」も参照下さい。
反差別国際運動のHPからhttp://www.imadr.org/japan/project/roma/home.html



[41]  佐渡は観光ではありませんは議会報告でしたのでここへ - 発言者:ikeda haruo  2004年2月28日(土) 12:06    返信
[41] 佐渡は観光ではありません - 発言者:池田治夫 2003年10月20日(月) 18:24 返信
視察といわなければいけないようです。一人で行っても視察。もちろん委員会視察は全くの観光の要素はなく勉強です。その勉強が終わって一人の時間をどう過ごそうと誰に文句言われる筋合いはないと思うが役人にはカチンと来る人はいるようで、観光は削除せよとのことでしたので、削除します。確かに個人の経費で両津市の議会事務局で取材をしていますのでそれは視察です。そのほかは地域歴史の視察とでも言うんでしょうか?


[40] 雨水浸透問題と合併のお駄賃 - 発言者:池田 2003年10月17日(金) 09:06 返信
新潟市で雨水浸透問題。村上市でEMによる水質浄化。が建設委員会視察。その後一人で佐渡の観光。なんと偶然、北一輝の生家。墓にお参り。あの時代の革命家として共感するところも多い。単純に国家社会主義=ファシストとして切り捨てるような人物ではない。佐渡は観光名所も多い。紅葉もそこそこきれい。妙宣寺の夕暮れの風景はうなってしまった。
雨水浸透の問題。ハニカムでの地下貯留槽のコストは砂利よりも高いとの話でしたがどんなもんでしょうか。ご教示いただければ幸いです。
ちなみに校庭で雨水貯留池のしたに遮水シートをしく理由も逆に地下水が入ってくるという変な理由。トン10万円では大型地下貯留池のコストと一緒です。16万トン160億円と一緒。池田はコストが安く効果は地下浸透分優れていると言うことで校庭など広場に大雨の時の貯留池を主張してきましたが新潟市でそれがすべての28校に建設されるとは驚きでした。稲葉市政には時間貸しの駐輪場なんかないと拒否されたあと視察で時間貸しの駐輪場を見て、今回は校庭の雨水浸透はむずかしいと答弁をもらって新潟市の実態を見るという偶然に今回もしてやったりの視察でした。個人的な観光ですが佐渡の両津市で合併後の市議の報酬をどうするのかきいたところやっぱり現在よりも増やすらしいんです。どこも合併には市議報酬の引き上げを条件にしているところが嫌らしいんです。   
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昔の旅行移動中   投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時27分21秒 
[50]  ローマ教会の腐敗の一部とは20050202 - 発言者:ロンリープラネットイタリアから  2005年2月2日(水) 13:34    返信
ローマ教会の腐敗の一部とは20050202
教皇のアビニョン補囚:(以下P30ロンリープラネット、イタリアから)イタリアの諸都市の政府も、政府内に学者を擁することが威信を高めると言う考えを持つようになった。Venezia Firenze Milanoやその他の小都市は、しばしばローマ教皇を嘲弄し、教皇が異端者とみなした学者をかくまった。教会はそれまでの知識の唯一の裁定者を自ら任じ、それは聖職者の間に腐敗を著しく助長させることになったが新しい学問はそうした教会の役割を脅かす物だった。しかし教皇の地位を脅かしたのはそれだけではなかった。教皇が13世紀に派遣した十字軍はムスリム討伐が目的だったが、14世紀に入るとその矛盾はヨーロッパの国王たちに向けられた。
教皇ボニファティウス8世(位1294-1303)はイタリア名門の出身で、自分の家族の富と権力の維持のみに腐心した。1302年の「教皇大勅書」で、世俗的、精神的両面の教皇の至上権を主張した。国王たちはこれを歓迎するはずもなく、1305年フランス出身の教皇クレメンス5世が教皇に選出されるとフランス王フィリップ4世は、教皇庁を南仏のアビニョンに移した。(以下、概説)アビニョン捕囚という。
この捕囚が終わるのまでしばらくの間アビニョンとローマバチカンの二人の教皇が存在した。(まるで日本の南北朝時代のようでもある。)教会大分裂。
15世紀に教会大分裂が終わり、教皇はローマの変革に着手した。16世紀はじめ教皇ユリウス2世は主要道路を開通させ、木製だったサンピエトロ大聖堂を再建した。1512年にはミケランジェロが、システィーナ礼拝堂の丸天井にフレスコ画。ルネッサンスによってイタリア人は、初期のような教皇による支配をもはや受け入れなくなっていた。人文主義者のロレンツォ・ヴァッラはその有名な論文のなかで、「コンスタンティヌスの寄進状」が偽造されたものであることを暴露した。(これをネタに神聖ローマ帝国の創設者であるピピンにも寄進状を書かせてバチカンの所領を確保したのはローマ教会である)
ナポレオンは1796年イタリアに侵攻。一方的にイタリアのディクタトール(独裁執政官)を宣言すると、国家主義運動が活発になった。ルソーの考えに触発されたフランス左翼ジャコバン派の運動は、イタリアで多くの支持者を得ることになる。ジャコバン派の運動はローマに共和国を樹立し、イタリアが一つの国であり、その主権は人民にあるという議論を呼び覚ました。しかしこの運動の成果がすぐにナポリなどの極貧者などに、期待できる物ではなかった。農民で構成された軍隊がローマを侵略し、ジャコバン派の活動家の死体が道路に散乱した。ナポレオンは1799年自らイタリア国「統領」を名乗った。ここにはじめて「イタリア」という国が誕生した。(コルシカ生まれのナポレオンがイタリアを作った。ならばイタリア人はナポレオンに好意を持っているのではないかと思いあるイタリア人に聞いたが、ナポレオンはフランス人であり、フランスがスキでないと言う、その人の個人的嗜好か国民的傾向かは分からないが) 1804年フランス皇帝にナポレオンがなるとイタリア王国、国王も兼任した。ナポレオンはパリで戴冠するために教皇ピウス7世を召喚したが(カトリック教会の権力を大幅に縮小した)フランス革命の黒幕に協力したくなかったピウス7世は、なかなか腰を上げなかった。ナポレオンと、離婚歴のあるジョゼフィーヌとの結婚を承認したくないこともあった。が結局、教皇が数日遅れて到着した時、ナポレオンは教皇に対して心穏やかでなかった。教皇がナポレオンの頭に冠を載せようとしたとき、ナポレオンは教皇の手から冠を取り上げ、自ら頭に載せたのだった。
ムッソリーニと教皇ピウス11世ラテラーノ条約でお互いを認め、バチカン市国の独立と統一イタリア王国の承認が取り引きされた。

ボルジア家:現代の常識からすると、15世紀のイタリアの教皇たちはとても教皇とは思えない人種だ。領土を維持するために戦争をし、政治的な暗殺を平気で行い(日本でも天皇の位をめぐって似たような歴史がある)愛人を作り、子供まで生ませ、精神的な関心事より、個人的な所有欲や血族のために行動していた。聖者などでは全くなく、イタリア的な政治家の権化だった。その最たる例は、教皇の歴史の中で最も腐敗に満ちた選挙によって選ばれたと言われる、ヒスパニア出身のロドリゴ・ボルジアだろう。1492年、教皇アレクサンドル6世となったかれの教皇庁は、他に類を見ないほど腐敗と不道徳に満ちていた。教皇在任中、愛人のバンノッツァ・カターネイを囲い、子供を数人もうけたが、いずれも良い話は伝わっていない。教皇は、恥知らずにもその全員を、画策して自分の子供にふさわしい地位につけた。しかしそんな彼の行為などに関係なく紀元1500年の大聖年には、キリスト教徒の巡礼者たちがローマに集まり、教皇を讃えたのだ。(なんと無関心な国民は権力の腐敗にも全く無知だったのだ。今も同じではないか)
アレクサンデル6世の息子のチェザレは、自分の兄弟を殺害し、教皇領の合併・拡大のために軍事遠征を行い、イタリア中を恐怖に陥れた。マキャベリは、この無慈悲で才覚のあるチェザレを一時、賞賛したことすらあった。ローマのテレベ川には、数えられないくらい彼に殺された死体が浮いていた。すべてにおいて悪質、巧妙な陰謀家だったチェザレだが、ボルジア家の仇敵ユリウス2世が1503年に教皇になってボルジア家の運命は決まった。領土剥奪。ヒスパニアへ追放。その4年後にチェザレは死んだ。チェザレの妹のルクレツィアは、気の毒にもボルジア家の残酷さ、情欲、強い金銭欲の権化として伝わっている。父アレクサンデル6世は近親相姦が言われるほど娘に執着していた。とてつもない豪華な生活を保証し、娘の夫にふさわしい男などいないと考えていた。それにもかかわらず娘は数回結婚している。夫の一人はチェザレに殺され、別の夫はアレクサンデルに性的不能と公表された。最後はフェツラーラ公アルフォンソ・デステと結婚したが、歴史を振り返ればルクレツィアは自分の意志とは関係なく、父と兄の陰謀の道具にされた部分が多かったかもしれない。(P31記事から)


[49]  ミラノ、フィレンツエ - 発言者:D  2005年2月1日(火) 01:45    返信
2005 124月
到着Milano初日朝カメオ商店の買い物40分がもったいないのでミラノ城見学にいくつもりだった地下鉄をMilano中央駅の見学をして地下鉄でDUOMOの一つ手前で降りて有名なブランド通りをひやかしで通った。200M。私のような貧乏市会議員には関係のないお店が並ぶが意外と朝11時前のためかさびれたかんじだった。そこから道に迷いながらトラットリアダピノというRONELY PLANET誌推薦「こんな安い心のこもった家庭料理の店は外にない。」という記事で探し当てた。が飯は12時から。しかたがないのでカップカステラに砂糖がまぶしてあるのとカプチーノで3Eだった。歩いてDUOMOに。裏側から見ると、おおーっと感動。だって表側は工事中だった。北側のAUTOGRILLでBEEFTAKOSとORENJIJUESE.約5E。これで昼飯済ます。KINGSBURGER結構うまい。GALLERIA VITTORIO EMANUELアーケードをぬけてスカラ座の前で写真。DUOMOに戻り内部見学。BARSERONAの聖家族教会ザグラダファミリアに似た雰囲気のミラノのDUOMOは世界で3番目にでかいらしい。NO1BATIKAN,NO2LONDON ST.POAL NO4FIRENNTUE だというからスペインでOPから離れて一人でバスに乗って行ったTREDOだったかの大聖堂は何番目か。よかったなあ。
次にVERONAによる。ここは別の阪急のパンフではOP1万円となっていた。今回の8日間99800円はかなりお買い得だ。 ROMIOの家からJURIETTAの家まで歩いた。世界でNO3古い円形劇場。日本では縄文時代だった2000年前のもので、補修工事をしていた。その後立ち寄った店。1割は高いが品物は良いと添乗員の鎌田さんがいうイタリアンマーケットではカミサンがかいまくっていた。ホテルはHORRYDAY という小さめな宿で鮭のGURILLがメインの夕食付き。白WINE 15E飲み易いが薄すぎる。水飲んでいるようだった。味噌汁を鎌田さんからもらった。この人バツイチ38才最近再婚。経験18年のベテラン。良く覚えている。今までは英語もあやしい添乗員が多かったが35人もの団体をうまくまとめている。帰ってからHPで見たが人気添乗員としてイタリアの旅を阪急旅行の記事に載っていた。
2005 125火
VENEZIA。 バスで島の入口までいき、船でCANAL DI FUSINA運河 から CANAL DELLA GIUDECCA運河 を通ってSAN MARCO 広場そばの船着き場へすぐにゴンドラに1舟6人乗って出発。30分くらいのる。現地ガイドを待つ間PONTE DE SOSPIRIためいきの橋の外から見る。 ガイドがきてSAN MARCO広場の解説。MILANOでは日本人GUIDEとITALIAN GUIDEの二人で城の説明。ITARIANはいるだけいないといけないらしい。ここではイタリアンGUIDEが一人日本語ぺらぺら。あんまり参考にならない話。LONLY PLANETを読んでいるとGUEDEは不要。GLASS FACTRYまで小用を我慢していたがトイレに行列がすごいのでやめた。でてきて中華5E以下の金額がMENUEにならぶ店で軽食、TOILET REST TIME.餃子小さい。4PIEACE3.5E 五目スープ4E.炒飯4E.URONG TEA1.5E 3人で25ECARD.RIALT橋方角を予測してでる。細い路地を迷いながら2回、道を聞きながら結局、CPO SS GIOVANNI E PAOLO教会に近いところまで行っていたので予定変更。先にこちらへ。2.5E 中は総督ドゥージェ25人の墓が教会の中に並ぶ。一人だけは墓が柵で踏まれないようにしているが、外は全部踏まれている。 絵画、彫刻、ステンドグラス。すべてが今まで見てきた教会の中でも素晴らしい。教会の椅子に座り込んで何一つ見物しないのはハイヒールで旅行に来たカミサンだ。時間と金の浪費をしている。出ると同じツアーの人が二人RIALT橋からきたようだ。聞くと、道に迷ってここがSAN MARCOですよねと言われた。そのくらい道に迷う。ここから橋でまでは一回聞いただけでついた。2Eといわれた粘土のおもちゃを5個5Eで買う。鎌田さん推薦のもの。橋のたもとでクリームたっぷりのココア4.5E サンドウィッチ5E 3人で25E。さっきの中華もここも12%(19%?)TAXのようなTIPのような。広場までは分かりやすい道で戻った。戻って分かったのはこの道が南北だったのを東西と勘違いして動いたのでI LOST direction. THE WAY TO RIALT.BUT WE COULD GET THE NEW PLEASUE.犬を連れた人の多さ。前を歩くおばさんが犬を散歩させている。日本語で犬の糞はちゃんと取れよと言ったそばから、犬が始めだした。しかしおばさん聞こえたかのように犬の糞を一応とった。 結構道路に糞が多い。Firenzeもおおいらしい。PALACE DUCALE 総督DUJEの宮殿の意味。11Eだったがすごい。もう一度来たい場所の一つ。VENEZIAのGUIDE BOOKを買ったがとてもたりない。写真を取りたかった。が足りないだろう。最後は時間が足りなくて駆け抜けただけ。もう一度来たらゆっくりしたいものだ。FIRENZEまで4時間途中トイレ休憩。AUTOGRILLがあったが敢えて有料トイレにいく。ガラガラできれい。
そのトイレの店、品数少なく潰れる寸前。AUTOGRILLも2件あるのもバカ。空いてるほうにまだ時間が10分くらいあるのでいってサンドイッチ茄子とトマトの3.1Eを買ってきた。これとカミさんが持ってきたミニカップラーメンとやきとりのかんづめ、おかゆ、もってきたうめかつお、結構うまかった。2.9Eのカンビール。もってきた日本酒つつましいが優雅な部屋食。HOLIDAYINN FIRENNZE 大きなきれいなHOTEL風呂にも今までの2件と違い非常の紐(これを引いてしまうと非常事態で救急車に乗せられ12時間検査漬けにされたと聞いた)という危険な紐もない。だがおゆを持ってきてほしいと9番にTEL。 COULD YOU GIVE ME HOT WATER ONE LITTER.OK.でまたされて20分。催促のTELをすると今度は生意気な女が370に電話しろとぬかす。ふざけんな。20分もまたせて別のところに電話しろとはなんだと最後には日本語で文句いって、ガチャン。370にかけてもでない。もう一度9番。別の男。370にというからI COULDNT CONNECT 370.SO YOU MUST CALL INSTED OF ME.といったらOK.でまた10分以上またされてやっとお湯がくる。都合1時間かかった。2Eあげるつもりだったが、遅いので1Eしかやらず。けんかするときの最後は日本語で。


[48]  フィレンツエ、ローマ - 発言者:D  2005年2月1日(火) 01:43    返信
2005 126水
FIRENZE近くのHOLIDAYINNからバスで市内へ230Eの観光税CHECK POINTで払う。個人はいくらか現地の日本人GUIDEも知らなかった。来年には倍になると鎌田添乗員がいっていた。最初が市内を展望するPIAZZALE MICHELANGELO VONALOTYのミケランジェロ広場にいった。市街が一望できるスポット。じっと見ると歴史が語りかけてくるようだ。ルネッサンスの活気を担った人々。教皇たちやメディチ家などの権力者たちの争いの中でふまれつづけながらも生活を、文化を練り上げてきた人々の喜びと悲しみがこの地でも聞こえてくる。すぐに革製品の店に寄って30分くらい待つのも苦痛なので近くのサンタクローチェ教会に脱出。スタンダールが感動で動けなくなったという聖堂は内部の一部が修復中だったがたぶんステンドグラスの美しさに感動したのかと思った。庭先へ出ると竜安寺の石庭のような静寂。壁画など破損したのを残ったものだけでも修復している展示室など洞窟に入り込んだような静寂だった。正面に出ると大きな彫刻を正面右手におく堂々としたサンタクローチェ教会正面でTOOK PICTURE.1E立ち飲み(バンコ)カプチーノであったまってからDUOMOの方角に向かう。外人の団体もGOLD SHOPなどにゾロゾロ。ツアーの宿命だ。
ベテラン添乗員の鎌田さんは厭な顔もしないで次の集合場所を教えてくれて感謝している。ふらふら行くと地図で大修道院かと思ったところがウフィツ宮殿だったのもDUOMOにいってからきがついた。FIRENNZEのDUOMO大聖堂は前に広場がないので中にはいるまで本当にここがDUOMOかと迷った。共和国広場からベッキオ橋にいったが、時間が足りずボーボリ庭園に入って中の人口洞窟の美女の彫刻の回りの見あげている怪獣のようなものを確かめることはできなかった。集合して昼飯つきOP。PISA観光OP12000円。食事をしないで庭園にいけばよかった。PISAは斜塔には昇る時間がなかった。旅行社ではなるべく昇って欲しくないようだ。斜塔が倒れたときのことが心配なんだそうだ。残念。洗礼堂のECHOは自分でやってみたかった。怒られるそうっだが、個人で来たときは挑戦したい。ビンチ村もPISAに近いようだ。あっというまに出発時間。FIRENNZEまで1h30m.夕食中華20E集合時間に少し時間があったのでACADEMIA美術館8EでDAVIDE像本物を見る。
20050127
FIRENZEからROMEへ8:15発13:00ごろ昼飯ROMEで。VATICANO,聖PIETORO大聖堂。今のヨハネパウロ2世はイスラムへの侵略だった十字軍を謝罪した。勇気ある法皇として尊敬できる。しかしながらその影響力は現代の皇帝であるUSAのBUSH JR.には通じない。あたかもBUSHはアビニョンの捕囚をした皇帝のように法皇の思いに逆らう9.11事件をイスラエルと組んで起こしたともいわれてる。VATICANOはムッソリーニと時の法皇の取引の結果生まれた国だ。歴史に残るヨハネパウロ2世の東西の和解を最後の審判に変えてしまいかねないBUSHをなんとかするには平和憲法の21世紀的新展開を。戦争したいための改憲ではない修正をこちら側から提起しなければならない。
システィーナ礼拝堂に行けなかったので25Eの分厚い本を買った。これはすごい。最後の審判もバッチリ見える。コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場と行ってから定番のお買い物タイムなんと40分。買い物好きがいてさらに10分遅れた。OPのカンツーネ11000円、遅れたら損すると頭にきていたら客はわれわれ10数人のメンバーだけ。あとから2人づれがきていたくらい。歌手はエレクトーンひく女性も歌う別に男女。カンツォーネ。なかなか素晴らしい歌だった。ワイン飲み放題。3本は飲んだな。食事もまあまあ。大満足の夜だった。


[47]  ポンペイ、ローマの夜 - 発言者:diver ikeda  2005年2月1日(火) 01:42    返信
20050128
朝8:00ナポリ、ポンペイOP15000円。へ食事をして5分前集合と言っておきながら大をしてゆっくりしていたら気が付くと5分進めていた自分の時計で8時あわてて昨日のほうり出していたシャツをきて鞄を閉めて飛び出した。エレベータは遅いから階段を駆け降りる。100番台の部屋の下がロビーだからともう一段下るとさっき食べていた地下食堂。駆け登ると100番台客室廊下の先も部屋しか無さそう。えい。もう一度駆け降りる。やっぱり食堂。食堂の外から中に入れるよう声をI must hurry. Please open this door.と言っても開けてくれない。ぐるっとまわれという。もうパニック。ダットのごとくかけてすごい遠まわりしてホテル前に駆けていくとバスに乗り込んでいる。ロビーで係りが待っているというので再度ロビーにいって声をかけた。するとカミサンだけ来ていないと係りが待っている。とにかくバスの人にお詫びをとバスに乗り込む定刻2分オーバー。あれだけどたばたしてかろうじて2分オーバーならよくやった。しかしいっこうにカミサンこない。15分くらいして係りからこれ以上待てないと言われた。勿論結構です。と了解した。トイレに入っているらしい。普段から胃が小さいので朝は食べるとつらくなると言うくせに良く食べていた。昨日10分遅れたことに頭に来たのが自分にきた。さらに平気で時間に遅れても他人をまたせてトイレでもう少しと言ったらしいというところなど準備が悪い。早め早めに自分の体調と相談しておくべきだ。私は2分でも待たずに出てしまうのだと思っていたので15分も待たせて身が縮んだ。おかげで係りの人におわびに5E。FIRENZEではカミサンが散々市内自由散策した後にトイレに行ってバスを10分待たせて運転手にチップを10Eと言われてカミサンの気が利かないことに気がつかされた。もう言われる前に今回はかみさんの代わりに払っておいた。OP担当の係りには要らないと言われたがお詫びの気持ちだ。本当に恥ずかしい.2時間少しで途中雪がふるなか高速道路を南へ向かった。PONPEIは雨。遺跡は時間の都合で中の半分以下しか回れなかったが、シュリーマンが見つけたトルコのトロイ遺跡にくらべ色々な建物が残っていた。雨の中だが部屋のどこに雨が漏ってくるか、雨水の排水はどうか、興味深かった。現在の町の道路よりも遺跡の内部の方がずっと排水がきちんとできている。町の中の道路には一部に大きく水がたまっているのがざらにある。Itaryはインフラ整備がきちんと出来ていないのがハッキリしていた。ポンペイはトルコのエフェソスに近い遺跡の感じだった。食事はさっぱりした海鮮ナポリタン風スパゲッティだった。昨日飲みすぎたので水とカプチーノ4人で水は3Eを分けて払う。カプは2E.途中店でも飲んだが0.9から2Eくらい。高速のトイレも必ず20セントは必要。トイレだけの場所では50ントとしているところも多い。新宿にも有料トイレがあったが奇麗にしてくれているトイレは安心。気持ち良く払いたい。その後カメオの製作を見物。買い物40分。小さくても400Eもする。ナポリ市内観光。タマゴ城で降りて写真タイム。
続2:夜のROME.地下鉄A線は工事中で駅が9時に閉まるのでLIVEHOUSE FOLKSTUDIOを探して探して地下鉄B線COLOOSEOで降りて行くと名前は違うがGILDOという名前のWINE BARがあった。21:00からOPENという。FOLKSTUDIO WAS CLOSED.らしい。LONRY PLANETも情報遅いか。表通りVIA CAVOURに出て大京城酒楼という高そうな店があった。窓のMENUには1、2、3の皿 FURUTがついてALL INCRUDED全部込みで8Eとある。安いじゃん。さっきの路地裏の店リトランテでそれぞれの皿で5-10Eはしていた。入って1、FRYD VEGITABLE 2,BEEF 3,野菜炒飯 フルーツ枇杷他。2のMAIN DISHはしょっぱい。甘酢につけてなんとか食べた。BEER,CHAで12E.そうこうしているうちに9時15分GILDに戻る。でも食事はもう満腹。ここではBEER、ジュースだけで12E。演奏のCHARGEはない。NY JAZZVIREGEだっけ、あそこも20$くらいで感動させてくれた。そこでItaryでも期待したが演奏はしばらくしてPIANO演奏。下手ではないが感動する演奏ではなかった。昨日のカンツオーネのほうががんばっていた。きれいな女性がボーカルであとから歌いだしたが阿川泰子みたいな力のない小手先でうまく歌おうという歌で感動しない。10時も過ぎたのでTAXIを頼んだが今ならカブール通りで拾えるというし、FOLK STUDIOをもう一度探してみたいとおもい、歩いて見た。カブール通りからVIA DEI FORI IMPERIALIにでてやっと空車がいたので乗り込むが、どうも渡したホテルの方向にいかないみたいで、ノン グラツエといわれて降りた。2台目も全く英語を話せず不安だったがなんとかホテルまできた。32E.I SLEPT AT 12:30,AFTER TOOK A BATH. That’s all.
翌朝、8時ごろ出発ミラノ経由で帰国。ミラノではDFSによる時間がなかったのと梅原猛さんの「自然と人生」をもっていったのに今まではロンリープラネット、イタリアしか見ていなかった。これイタリアの歴史の概説書としてもかなり充実している。すべての歴史は現代史であると実感させる。梅原さんの本に読みふけって土産を買う場所なかった。もともと土産買わない。


[46]  白鵬は横綱朝青龍に勝つ - 発言者:いけだはるお  2004年11月24日(水) 15:29    返信
昨日の魁皇戦で待ったをまたした魁皇ははじめから負けていた。それでも今日から最終日まで全勝して横綱だ。白鵬は少し遅れてあるいは魁皇よりも先に横綱。なるのは間違いないだろう。八百長でも魁皇を横綱にしないと二人のモンゴル横綱では相撲協会も困るかも。外人横綱しかいないのが当たり前の時代もすぐそこだ。


[45]  Scenic Railway comparison - 発言者:池田治夫  2004年9月2日(木) 07:10    返信
http://www47.tok2.com/home/infinite/america/durango/pic1.html http://www.durango.com/slide/trainsshtml/ulthm11.htm is better.
Deep canyons; gorgeous, flowing rivers and waterfalls; dark green evergreens and pure white aspen trees.

これはアメリカ、コロラド、デュランゴからシルバートンへの狭軌鉄道の他人の旅行記。今回のskagwayのWhitePass&YukonRouteもすばらしかったが、シルバートンの行った先での乗馬も1時間くらいぶらりして25$だったのも魅力。


[44]  バンクーバー国際空港 - 発言者:ikeda haruo  2004年9月2日(木) 06:40    返信
アラスカへの一週間
空港でやっと沢山の日本人を見た。大橋巨泉のOKショップの袋ももっている。オーストラリアのゴールドコーストのような店がこっちにもあるようだ。

ハバード氷河、アラスカ (機械翻訳)
1985、1986
これらのイメージは示します。 Yakutat湾、アラスカの近辺 .ラッセル・フィヨルドは接続されて、海水のことの狭い身体です。 湾 また南東に伸びること。ハバード氷河は位置します。 ラッセル・フィヨルドがその湾に遭遇するところで .

1986年5月に、ハバード氷河は山脈から下降して急増しました、 出口の閉鎖 ラッセル・フィヨルドおよび作成する「ラッセル湖」の。その夏中、新しい湖は流去水で充満しました;その水位は、25メーター上昇しました。また、塩分の減少はその海洋生物を脅かしました。

10月8日の真夜中のまわりで、ダムは崩れ始めました。次の24時間で、概算53億立方メーターの水はギャップによって噴出しました。また、フィヨルドはその前のレベルに海洋に再度接続されました。
http://edcwww.cr.us   
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昔の旅行移動中   投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時25分24秒 
[40]  saipan2004/2/21-24 - 発言者:ikeda  2004年2月25日(水) 20:07    返信
シャープの招待でサイパンに会社の社長になった山の神についていった。去年はタイだったそうだが小生は選挙の真っ最中話は無かった。一昨年は台湾で行って来ました。シャープビジネスの社長のNさんも早稲田の大先輩で20数年前からのおつき合いになる。ホテルニッコーは8年ほど前の会社での社員旅行の時には泊まっていない高級ホテル。もっともホテルが高級でも部屋がそんなに変わるわけではないのでいつも自分の旅行では安宿専門。watersriderなんかのあるプールにはお目にかからないので最終日は10回位滑りまくった。JetSki20分30$10分20$も気が狂ったようにフルスロットルで水面を突っ走る快感は何者にも代え難い。コーナーで思わず海に落ちそうになったのも快感。マニャガハ島の体験ダイビング15分65$はホテルでの45$に比べて高かった。Cカード持っているのに久しぶりなので体験で我慢。実弾射撃は22口径なのにマグナムなんて言っちゃってガラパンのお店はインチキ。50$+15$送り代も高すぎ。ハイヤットホテルのイルージョンは結構よかった。


[39]  華国峰 - 発言者:華国峰に似てるか  2004年1月10日(土) 11:06    返信
私のことを中国人から毛沢東に似ているといわれた。別の中国人に華国峰のことをきいた。毛沢東のこどもでは?と。似ていると言われていますがわかりません。毛沢東にはたくさん子供います。これが今回の中国旅行のハイライトニュースだ。


[38]  中国大陸初体験 - 発言者:ikedaharuo  2004年1月10日(土) 10:46    返信
韓国2。台湾1。ガムサイパン3。USA7。ブラジル1。豪州4。トルコ1。スペイン1。フィリピン1.タイ1.ベトナム1.インド1.アラブ首長国連邦1.中国1.今回やっと大陸の土を踏んだ。去年は申し込んだがトイレのことでかみさんが嫌がってシドニーに変えたことがあり、今回は一人で最低価格のツアーに参加。よかったのは上海ワイタン(バンフ)の夜景。面白かったのは和平飯店の老年JAZZバンドのへたくそなテイク5。


[37]  美人スッチーかくのたまえり - 発言者:haruo1  2003年7月21日(月) 14:11    返信
商いをさせていただいている心を

2003年7月2日サンパウロ発バリグブラジル航空RG8836便で12時間ほどかけてロサンゼルスに着いた。数時間トランジットで待たされて同じ便で成田へ やっとロスからだから日本の新聞もあるだろうと乗ったときに頼んだ。
なかなかもってこないのでスチュワーデスをボタンで呼ぶ。
最近の飛行機はなかなか呼んでも来ない。結局通りかかった美人の日本人のスッチーに新聞を頼んだ。そのときにこやかにその美人スッチーはかくのたまわった。
「ファーストクラスから順番にお届けしておりますので、余りましたらお届けします」だって。ホントにこう言ったんだから。。。
こいつ日本人じゃないんじゃないかと一瞬考えた。でも流ちょうなネイティブな日本語。今まで申し訳ありません。あいにく切らしてしまいました。
などというのはよくあること。たとえファーストクラスに乗っても。。。
あった。口の利き方には心して欲しい。


[36]  南十字星 - 発言者:いけだはるお  2003年7月8日(火) 19:36    返信
しまんちゅぬ宝 beginの曲。星の名前は名前は知らないけどよく知っている星空。というところがある。南十字星って南半球でしか見えないと言うのはブラジルで湯川さんに教えてもらった。ミルキーウェイもきれいに見えた。そういえば草津温泉スキー場の駐車場であまりにも夜空がきれいで見たときはあんなに星の数が多かったのにミルキーウェイは見えなかった。ミルキーウェイがあんなに雲のようなかわに見えたのはブラジルだからだろうな。


[35]  金額換算 - 発言者:池田  2003年7月6日(日) 14:44    返信
1US$が行ったとき3ヘアル。帰りころには2.8ヘアル。おみやげはあまり喜ばれたことがないので買わない主義だが、自分のために買った民宿ピューバルのランニングがかみさんに好評で取り上げられてしまった。18ヘアル。プロポリスよりも安い。


[34]  自然写真家湯川さんのインタビュー - 発言者:池田治夫  2003年7月6日(日) 14:39    返信
http://www.aliansa.com.br/interview/yukawa/index.html


[33]  ブラジルイグアスpantanal - 発言者:池田はるお  2003年7月5日(土) 12:24    返信
20030628ブラジルまで24時間かかる NRハツ20:00 9時間余 LAXデTRANSITマチ LAXからおよそ11時間でサンパウロのはずが昨夜から天候のため空港が使えず現地時間朝7時から9時半までどこかの空港で待機 1US$が2。5R$ 1R$が 48円です。バリグ航空のクルー3人に確認したがイグアス行きの飛行機におくれるんじゃないかと確認したらサンパウロがシハツでレオにゆくから遅れないと3人が言うからじゃあまっててくれるのねとレオについたらまっていた現地の三浦さんというひとがサンパウロで降りていたら3時ごろのイグアス行きに間に合った。12時にレオについてもまたサンパに戻って結局夜10時発のイグアスゆきしかのれず1ニチヲ潰してしまった。三浦さんに昼飯をごちして20$。水買って両替20$を50R$.絵はがき5枚*70センチモ 切手1.45*5 10R$.乗り換えレオで係員に案内してもらってやっとのる。GATENO.が書いてないので一人では不可能。サンパウロでも美人の係員がずーっと長い道を案内してくれた。待合室で按摩15分16R$およそ800Yならとやってもらった。記憶力がわるい私。帰りに国際線で按摩別の女性にやってもらうとき看板に金額が書いていない。きくと8$という。2$TIP上乗せされていたな。そんなもんだとやってもらった。インチョンは高かった。29日朝7時起き食事軽く。8時アージェンティ側90$+ブラズィ側+60+滝の下までボート50合計200$なべやま?さんへTCで支払いヘリ滝の上から10分1人160$ TC支払い。 虫除けクリーム2$昼も食わずに一日中いぐあす漬。星野智子の道ロマンの写真の場所はブラジル側。何かの撮影の連中も記念撮影をしていた。アージェンティンガワ悪魔の喉笛の場所で皿などに絵をかいていたおじさんやっぱりうまい。小さいの2$。滝の下は結構面白かった。池田はボートのへさきにたつのが好きだが足を前に向けて座っても注意されてしまうくらい結構心配するので一番前なのに後ろ向きに座るしかなかった。帰りはみやげもの店によってプロポリス19.8R コーヒー3.6R買った。全部TC.6時半ホテルでなべやま?さんに支払ってからシャワーあびてから夕食バイキング思ったとおりうまいのはない。ビア一杯のみ。前の晩は飛行機のなかで禁酒していた反動で日本酒4合ビンをあけてしまった。日本酒はうまかった。夜サンバSHOWをみようかとフロント近くに案内のちらしなど探したがイグアスの滝のことしかなかった。結局寝てしまった。朝は5時40に迎えとのこと。夜中の1時過ぎに目が覚めて本を読みまくり「本田勝一殺す側の論理」
7/1朝7:00IGUASU 8:30SANXPAURO 9:30発12:40CUIABAでも時差で11:40に直す。途中11:10頃別の所で降りそうになった。クルーにみせて違うと分かり席に戻った。CUIABAで荷物が出てくるか何回も尋ねていたが心配だった。出てきて一安心。湯川さんという人JAICAで10年前きて住み着いた。とのこと。去年ブラジル人と結婚。NHKのPANTANALの紹介3回仕事したそうだ。写真家はLIFEWORKとのこと。途中POCONEという湯川さんの家のある町で昼食バイキングシュハスコホテルの食事よりうまかった。2人で10$。15:00PANTANAL入り口の牧場につく。18部屋あるという。USAの田舎のMOTELのようだ。シャワーの後オーナーと3人で牧場の湖8K×2Kという広大なところでピラニア釣り牛肉を餌にいれぐい。夕食時ブラジリアの生物学部の学生が50人の団体できていた。7/2は乗馬1H半のあと縦断道路南下自然探索。乗馬は大好き。海外など機会があれば必ずのる。とろとろ歩くのはたまらないので広いところに出たので駆けたいというと湯川さんじゃあといってどっと駆け出したあんなに速く走るとは実は思っていなかった。あせった。はじめてだ。乗馬も前日の湖でのボートでのピラニア釣りも翌日のPANTANAL縦断道路南下してのホテル昼食。ボートでの川くだりもはいっての中身の濃い休日でした。明日はオプションで乗馬10$。今日の途中での猿の家になっていた展望台入場料OP5$。川舟TIP1$しかなかったので。。。ああそうだ、ビールとみずの金。返していなかった。明日5$まあ、せわになったから10$渡そう。読んだ本。本田勝一殺す側の論理。松本清張私説日本合戦單。本田のイザヤベンダサンとの論争は問題をすり替えようとした稲葉前市長ベンダサンと戦った池田の論戦を思い出させた。また池田の非武装中立のなかのO氏との論戦も似たところがある。池田がベトコンを嫌いになったきっかけはベトナムに行ったときの入国官の無愛想なこと。国の観光窓口なんだからもっとうれしそうにしろよ。というのがきっかけ。だって俺はきみらの国のために命をかけて一緒に戦おうと高校生のときに本気で考えたんだから。。。あの思いは正しかったのか。ホーチミン市で足のない乞食をみて敗戦後の日本の姿をベトナムでこの目でみて感じた。だからベトナム戦争は正義の戦争と本田氏の影響をうけた我々世代ではあるが、この部分を言葉のすり替え師の山本七平ベンダサンに使われるところもあり。松本合戦單は文章のかきかたがなんだか自分が書くような生硬な文体で面白い半面こういう時代の松本調なのか合戦單故なのか。資料面など俺には新しい発見があった。西南戦争などほとんど知らないことばかり。金ヶ崎でしんがりをつとめた秀吉が徳川に助けを求めたことなど。伊藤光晴ケインズ。国家独占資本主義1930年代から戦後都留重人が持ち込んだのは国家独占ケインズ主義だったんだな。今のインフレターゲット論はやはりケインズか。構造改革論もケインズの影響。川口弘ケインズ経済学研究。行政手続法。
ガイドの湯川さんには大変お世話になった。7/2朝オプションで10$乗馬。8時から9時すぎ、大草原と湿原の水野真紀。馬を疾駆させてあせった昨日を取り返そうと今日は自分を先に駆けさせてといってやってみたが馬がまっすぐ駆けない。湯川さんの馬が駆けると駆け出す。というぐあいでとてもまともに馬をあやつれていない。15万+運賃カナディアン14万ぐらい?で7日くらい午前午後集中でレッスン受けにこようかと本気で考えている。なぜならあんなに広いところで馬を走らせるところを見たことがないから。そのあと牧場のはずれの森で椰子の木がいちじくの木に絞め殺される現場を検証した。Tシャツ18ヘアル*2 ボウシ12ヘアル。昼飯のあと空港へ。またカメラを湯川さんの車に忘れ待合室で居眠り中に届けてくれた。感謝感謝。
さらにカメラの用意がなかったのが残念だがサンパウロ出発の真夜中。なんと美しい夜景だこと。ちょうどディズニーランドのピーターパンかユニバーサルスタジオのETか。派手な夜景ではないが、道路一つ一つの明かりが眼下全面に広がるメルヘンチックな美しさは息をのんでしまった。電気がいっぱいある町だとよーくわかった。


[32]  教育長の退職 - 発言者:池田はるお  2003年3月22日(土) 02:18    返信
不本意ながらと退職。たてしな荘は地元の会社に引き継いでもらうとっていたが、10日の池田の一般質問で、池田に言われたからじゃない。と断りながら市の広報で公正に一般公募すると明言した。大きな前進。これでいい加減な積算で予算化しようとした4800万円が助かる。


[31]  ひーちゃん - 発言者:はりー  2003年3月3日(月) 17:45    返信
ひな祭りの前日、久しぶりに孫のヒーちゃんが来ると言うんで早くといっても東京理科大の鈴木先生の講演があって遅くなってしまった。久しぶりにお風呂に入れたが珍しく大声で泣かれてしまった。   
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議会の視察も山形  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時24分2秒 
[30]  ikeda Battle - 発言者:ikeda  2002年12月13日(金) 21:38    返信
Today, I let out an opinion book to the Higashikurume City council.
The Communist Party begirt a plot.
It obstructed my opinion book.
Sugiharasan of DemocuraticPerty opposed my opinion book.
The reason is because the document is long.
It conceals a true reason.
Sugiharasan made mistakes.
It is the mistake that changes an idea in the likes and dislikes and its convenience.
It is a pitiable person.
This person doesn't have a backbone.
This person doesn't have the will.
The Higashikurume City national assembly is the conference place of the specters.



[29]  ikeda Battle - 発言者:ikeda  2002年12月13日(金) 21:38    返信
今日、私は東久留米市議会に意見書を出しました。共産党は陰謀を巡らしました。私の意見書を邪魔しました。DemocuraticPertyのSugiharasanは私の意見書に反対しました。理由は文書が長いからです。本当の理由を隠しています。Sugiharasanは間違っています。好き嫌いや自分の都合で考えを変えるのは間違いです。かわいそうな人です。この人には気骨がない。この人には志がない。東久留米市議会は妖怪たちの集会場所です。


[28]  When I Passed out my paper ikedaharuotuusinn - 発言者:ikeda はるお  2002年12月13日(金) 21:15    返信
I said It's interesting more than 5 majer Japnese newspapers.
Someforeign people look back & he get my paper with smile.




[27]  tatesina - 発言者:ikeda治夫  2002年12月9日(月) 06:41    返信
女神湖のそば蓼科牧場に白樺高原国際スキー場というこじんまりしたスキー場の近くに東久留米市のたてしな山荘があった。今は東京が大雪になっているが、昨日は山荘のそばで雪がちらつく位で、スキー場の近くだけチェーンをつけただけだった。
さて何で蓼科まで翌日の市議会一般質問を控えて行かなければならなかったのか、話せば長くなる。今回の議案でも施設が古くなって施設の維持に更に経費がかかることと年間2200万円ともいわれる年間維持費が重荷になって市としては山荘を手放したいと言う話。解体には5000万円くらいかかる。という話が議案の説明であった。解体がまた5000万円とは高すぎるのではないかという話から始まる。旧市庁舎の解体費用が4000万で済むと一般でいわれるのを7000万円かけて解体した東久留米市。一市民として問題を取り上げホームページなどで告発したのが私自身だから見過ごせない。なんとかだれかに引き継いでもらうことは出来ないかと教育長に聞けば「一億円もかけて引き継いでくれる人はいないだろう。引き継いでくれるならタダでも引き継いでほしい」と再三いわれた。そこで東久留米情報ステーションという市民の方の主催しているホームペイジなどにこの問題を公開した。そして知り合いの上場企業の社長に改修工事に金はかかるがどうかときいたところ、借地権の扱い、地目、などの問い合わせがあり、タダで受け取るのは贈与税の関係からまづいとの話。金は出すとの話。そこで現場を見せようと言うことになった。市の関係者は電話をかけてくれただけで、高速道路代金もガソリン代も食事、蓼科牧場温泉での日帰り入浴など私の世話になっている人であり、選挙民でもない、数千万円の利益を東久留米市にもたらしてくれるかもしれない人ということもありまさかご当人に負担させるわけにも行かず池田が全額負担して現場を案内した。
このことは東久留米市が数千万円の節約につながる営業活動さえ全く無関心ということ。お役所仕事っていうんでしょうか。税金を使うことには熱心でも節約することには極めて鈍感であることがよく分かる。あげくのはてに行ってみれば、現地の管理会社が自分の会社で引き継ぎたいといって現場案内に同行。私が案内した方は話が違うとむくれられてしまった。何でボランティアで市の税金の負担を軽減させようと市の営業活動の肩代わりを経費全額自分持ちでしただけの私が怒られるのか。私は誰に文句をいって良いのかとくたびれただけの一日だった。
教育長に聞く。1.蓼科のひきついでもらうための内容をきちんと正確に情報公開せよ。引き継いだ場合のたてしな町への支払う税金。2.改修見込額。あなたは1億円かかるからなどと言うが現地の話とずいぶん違う。3.地目。4.その他関係するすべての情報を公開の上、タダでも引き継いで欲しいといっていた話が
引継者がいくら出すかで決めるのだと方針転換したこと。5.最終的に解体する場合の経費負担を保証してもらう方法。など一切の条件を公開して広報で公募するべきではないか。


[26]  BARSERONA! - 発言者:haruo1  2002年12月1日(日) 19:25    返信
In SPAIN traveling 20021121-28 this time, MONSERATT was the most wonderful.
A few CATEDRAL are a touch of being fed up. It knew that it was excellent well. It gets to want to say. The might of the cathoric power is weird. The bridge which was dyed the afterglow of TREDO can be called nothing and was a good atmosphere.
There was not ARHANNBRA palace as much as the expectations.
The EFESOS shrine of TARKY, the ABUSINBER shrine of EGYPT, TARJIMAHAR, in India. ARHANBRA don't reach them.
I must go quickly in ESPERNYA ST. without eatingLUNCH.
The meal in the foreign countries has never eaten in the good one.
It is relieved almost because it understands taste if being JUNCKFOOD to bite in the buying in the city. Doing most the being which is delicious in the turn sushi which eats after returning to Japan The scenery is the 1st better than meal. The loving about GROUNDCYNYON and MONYUMENYTVALLEY etc.
That the smell of ANARKIST of BASUK could not be moved at all in SPAIN is sorry. The thought to SPAIN was born in the learning of people's front movement in the student times 30 years before. Japan made the cooperation fight line party theory of YAMAKAWAHITOSHI graduation theses. The people's front of SPAIN is loss by the betrayal of SUTARING. It made the people's front of link SPAIN seeing killing in HITTRAR and the hand. HITTRAR supports FURANCO of the rebel army in the surface. The people's front government got support from the international brigade which contains & BAIRON, HAINE of the support from all over the world, too, but the USSR Communist Party of SUTARING deserted SPAIN to avoid the attack of HITTRAR.
A brigade of 7th of AH! was annihilated! Had it become the city which doesn't have relation at all with such a hot thought? BARSERONA!



[25]  AH!BARSERONA - 発言者:haruo1  2002年12月1日(日) 18:38    返信
20021121-28今回のSPAIN旅行ではMONSERATTが一番すばらしかった。CATEDRALは少し食傷気味。立派なのはよく分かった。と言いたくなる。cathoric権力の強大さが不気味。TREDOの夕焼けにそまった橋がなんとも言えずいい雰囲気だった。ARHANNBRA宮殿は期待ほどではなかった。TARKYのEFESOS神殿、EGYPTのABUSINBER神殿、インドのTARJIMAHAR、などには及ばない。 LUNCHも食べずに急いでESPERNYAST.に急いでいって良かった。海外の食事はうまいもの食べたことがない。町で買い食いするJUNCKF00Dなら味が分かるのでだいたい安心。日本に帰ってから食べる回転寿司が一番美味い。景色が一番のごちそう。GROUNDCYNYONとかMONYUMENYTVALLEYなんか大好き。SPAINではBASUKのANARKISTの臭いが全く感じることが出来なかったのは残念。SPAINへの思いは30年前の学生時代の人民戦線運動の学習の中で生まれた。日本ではYAMAKAWAHITOSHIの共同戦線党理論を卒業論文にした。SPAINの人民戦線はSUTARINGの裏切りによる敗北。HITTRARと手を結びSPAINの人民戦線を見殺しにした。HITTRARは反乱軍のFURANCOを全面支援。人民戦線政府は世界中からの支援BAIRON、HAINEなどを含む国際旅団からも支援を受けながらもSUTARINGのソ連共産党はHITTRARの攻撃を避けるためSPAINを見捨てた。AH!第7旅団は全滅した! こんな熱い思いとは全く関係のない都市になってしまったのか。BARSERONA。


[24]  artist Zaccarella - 発言者:IkedaHaruo  2002年11月29日(金) 19:04    返信
Subject: TO Mr.Zaccarella
I met a famous artist his name Antonio Zaccarella.

Yesterday We set the saet next it in Airplane.I saw the magazine. His artistic work was presented to few serected peapoles at the ceremony of commendation by Itarian authlizede.


●リンクURL : http://ikeda.gr.jp


[23]  石井紘基氏へのテロを許さない - 発言者:haruo1  2002年11月2日(土) 13:00    返信
国民会計検査院運動の先頭に立ち、農水省の族議員どもによる利権のための土建推進を暴露し日本中が、ダムと空港と道路と新幹線になることを先頭に立って警告してきた石井紘基さんを殺す犯人は断じて家賃を払ってくれなかったからなどという見え透いた犯人の供述通りの宣伝を警察はするべきではない。
土建国家日本に対するタタカイを進める心ある人々全体に対するテロによる恫喝である。私もこの恫喝に屈する訳にはいかない。石井紘基さんの意志を日本国中に満ち満ち渡らせる事が自治体で働く人間の使命と考える。民主党の中には利権と戦えない政治屋も多い中で傑出した政治家であった石井紘基さんの死は惜しみてもあまりある事態である。以下石井さんの著書の中から利権政治の実体と密葬当日、そして豪徳寺でテロに倒れた井伊直弼
の墓所に巡り会った奇縁の様子。


[22]  山形視察と月山。共生と循環の哲学 梅原猛 - 発言者:池田  2002年10月7日(月) 18:30    返信
山形視察と月山。共生と循環の哲学 梅原猛

10月3日山形県長井市で生ゴミを使って地元の無農薬栽培の地力を回復するためのプラント(これは生ゴミを処理する事を目的にしているのではない。あくまで農地の地力回復のための方法の中で生ゴミを有効利用しているという地元の方の声が腹に響きました。)山形駅そばのワシントンホテルに宿泊夕食は24階の和食景色がいい場所。

翌日は寒河江市の30億円の保険福祉総合センターを厚生委員会で視察。興味なかったのですが、東久留米にはまだまだこういう立派な施設が足りないという意見の市議もいて、こんなのを日本国中につくったから国はおかしくなっている。これからできるであろう東久留米の廃校舎利用の保険福祉センターを逆に視察に来るべきだと言ってやりたかった。
ここ寒河江市がかの月山から30キロの場所にあることを知り、いても立ってもいられず、視察後 皆さんの了解をいただき、駅で分かれて、(レンタカーを借りここからはもちろん税金の支出はありません。)月山ふもとの志津温泉までいく。旅館は外見はきたない。2~3軒の宿の風呂場を見せてもらい。気に入ったのが一番高い「つたや」風呂はあふれていないが雰囲気が気に入って泊まる。12000円1泊2食に値切ったので部屋はシングルのせまーいところ。夕飯は立派な会席料理。味はそこそこ。自費で岡山焼却炉を視察したときに食った神戸のsoneのフォアグラのりヒレステーキをしのぐのがない。本がいっぱいあったので「共生と循環の哲学 梅原猛」をざーっと一晩で見た。梅原先生が東京新聞で言っている内容が色々な席で語られた事を本にしている。
朝7時に朝食。20分に出る。月山は車で姥が沢まで10分200円。スキー用リフト往復1000円まで歩いて5分。のって15分歩いて小一時間で姥か岳1670mに登る。となりの金姥の方が高く見えたので更に登る。戻りは金姥の山の霊力が付いたのか体が軽い。下りは30分くらいで降りたと思う。姥が沢発10時。寒河江市の慈恩寺に立ち寄る。聖徳太子の少年時代の像。空海の像など何かの書籍で見たのはココにあったか。由緒ある寺。その奥にある東光坊手打ちそばは、なかなか。つゆは辛いが、具がいろいろ。構えは普通の農家で入りにくいが、オヤジは東京で観光バスの運転手をしていた話好きのひと。慈恩寺は3院17坊。と聞いたが、ここ東光坊ももと坊主とのこと。残っていたら18坊。と言われたのかも。山形までレンタカーでとって返し13時。1分のツバサを知っていたらもっと早く帰れたのに。14時21分のツバサまでホームでワインを飲んでまつ。新秋津17時30分着。   
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1999デュランゴ  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時22分52秒 
[21]  1998アメリカデュランゴへ - 発言者:池田昔の記録  2002年9月30日(月) 15:57    返信
昔のタダのHP(8000アクセスは越えていましたので今のカウントに+8000)で消えてしまったのが出てきたので追記。
僕のINDIAN COUNTRY旅日記1998/8/19池田治夫48才

1998/8/11UAでサンフランシスコ、デンバー経由デュランゴへ

デュランゴではデンバーでゲイトが2回もかわりひやひやしたがなんとか1時間遅れぐらいでついた。レンタカーはハーツが高いのでダラーにしていた。
50$違う。ましてコンパクトがないのでワゴンをコンパクトの値段で借りることが出来た。薄暗くなってきた空港を出て、大西部を感じさせる道を走りながら、西部に来たなと実感した。幌馬車は使えないが同じワゴン。
いいじゃないかとほくそ笑む。ガス満タンに12ガロン15$。
蒸気機関車で有名な町らしい。隣の町シルバートンに行く蒸気機関車が45$から90$で往復6時間現地で2時間のツアーをやっている崖の上を走る写真を見てよーし乗ってみようと決める。町外れのモーテル秀 優 良 可 不可で良でしょう。45$サンセットイン8/11泊。
翌日、前夜と同じデニーズで食事。汽車の汽笛が聞こえて駅に行ってみると汽車に間に合った。わくわくして汽車に乗る。途中の景色が一つ一つ新鮮だ。
ほかの観光客も同じでバシバシ写真やビデオをとっている。車掌がこの先にもっといいところがあるからフィルムをセーブしておけと言っているようだ。
日本人は全くいない。
しばらくして渓谷にはいる。結構感動ものだった。シルバートンの町はおもちゃの町のような夢の町といった雰囲気の町。駅に降り立つと、西部劇の街角に立ったようだ。町の銀行では日本円を見たことがないようで、3万円を20$手数料4$引いて16$などという。銀行が詐欺をしようというのか、あまりの無知にというよりもこんな田舎町で日本円を両替できると思ったのが間違いだったようだ。
でも1998/8/12現在で1$150円の円安で見られている。このあとロッキーマウンテンカフェでタコスとコーヒー牛乳という結構なものをたべた。ここのおばさんは壁に世界地図をアメリカの地図を掲げてアメリカや世界各国の旅行者の来た町にピンを刺している。アメリカが多いのはもちろんだがフランス、ドイツなども多い。日本人のピンの数は今年一年だろうか、10人こえるかどうかという程度だった。町の中を馬で散歩している人を見かけたのでどこで乗ったらいいか町の老人に聞いてみるとホースが水撒きのホースととられ身振りでやっと分かったようで、でもからかわれたのかも知れないが、駅の横の所に行って聞いてみる。1時間20$案外やすい。おとなしい馬といったが、そこのガイドの雌馬についていく様になっている雄馬で草原にはいるとあんまりいうことを聞かない。思いっきり蹴らないとトロットもしない。ちょっとした草原谷間を抜けて町が一望できる丘の上を歩く。日頃のストレスを洗い流すような快感だった。帰りの蒸気機関車はロッキーらしき山を遠望して草原谷間渓谷を進む。
来たときの感動も薄れ、ウトウトする。デュランゴにつくと駅のミュージアムも閉まって、スーパーグローシャリーストアでビールを買ったつもりがノンアルコールだった。ちゃんとしたビールをもっと買い込んで置けばよかった。
この先酒が無くて物足りない思いをすることになる。
このあと出来るだけメーサバード国立公園に近づこうと走り出したが、レジデンスインという結構こぎれいなところを見つけ値段の交渉をする。
116$を110$にしかまからんという部屋も見たが、ジャグジープールもあって気に入っていたが50$路線からかなりのハイレベルなので100$にしてくれなければいいや。というと食堂にいた変なおばさんが出てきて、夜飯朝飯ついてビールもワインも飲み放題というので、それなら50$路線にずれないだろうと、宿泊することに決めた。感想は優。夜飯はディナーとはほど遠いサパーってやつでしょうか。ハンバーグ、とソーセージの他はレタス、スープぐらいのセルフでしたがワインはガンガンついでくれました。3$のチップでは少なかったでしょうか。それでも10:30クローズのプールとジャグジーに入るのは忘れず。朝もうまいイモスープとマフィンしっかり食って7時にはメーサバード目指して出発。もちろん毎晩の洗濯も忘れていない。香港の悲劇にならないように機内持ち込み荷物だけにするモットーがある。着替えは3日分のみ毎日洗う。
車に干す。2時間ぐらいたって入り口で10$払ってビジターセンターにつく。バルコニーツアーが面白そうだったのでいくらかきくと3$位だった。そのときに隣のレンジャーに引き継がれたのが間違いの元、クリフパレスツアーと勘違いしていたレンジャーがクリフパレスの場所を教えたからどうもおかしい。クリフパレスのレンジャーにチケットを見せてここで待っていればいいのかと念をおしてもここでいいという。どう考えても遠い場所なのにおかしいと駐車場に戻って別のレンジャーに聞くとやはりバルコニーツアーはバルコニーの前に集合だということで、あわてて移動間に合った。しかし解説は早口で全くワカラない。途中でそのレンジャーがゆっくりとしゃべるといってくれたが多弁なそのレンジャー、ほとんど変わらない。そこにいた住民は信仰心が厚くあるとき突然その場所を去った。というくらいしか分からない。メーサバード国立公園、信仰を集める神々しさがある場所ではある。
雷をみながら国道に出る。西へ左折してしばらく行くと珍しくパーキングプレイスがある。トイレにいこうと止まると何にもない場所にトイレとコーラの自動販売機があるだけ日本とは段違い。でもどうろのペイントも追い越し禁止だけはきちんとなっているが雑な塗り方。こんなんでもただで走れるのだから土建屋のために、政治献金を取るために高い高速料金と重量税なる何でもとってやれという精神がほとばしっている日本の道路よりもずっといい。ただしどこのトイレもドアが閉まらないこと。
ここはドアすらなかった。そのくせ手の乾燥機があるというのは苦笑してしまった。去年ニューヨークの一流百貨店Mayers?のトイレが汚く数が少ないことにあきれていたので、そんなものかと思った。
コーテズは少し大きい町なのでバンクにチェンジに立ち寄るがまた日本円は扱えなかったのだ。やっぱりアメリカは広い。土砂降りになった中160号線を道なりに左へ折れてすぐコーテズのエアポートのサインがあるその道へはいるとモニュメントバリーへの近道だ。このINDIAN COUNTRYの地図はメーサバードのビジターセンターで4$だったがこの旅行中大変重宝した。この近道はエアポートの先ちょっといったところからIsmaというガソリンスタンドしかない場所のあたりまで小さなグランドキャオンがあるようなきもちのいいところだった。
ナンバーのない道から262号線に出て163号線にクランクしている道で左折191号線で突き当たるところがTWIN ROCKSというペニスが二本つきたっている場所にいきあたった。これも4コーナーズという4つの州境を通っていたらみれなかった。一本はそこいらじゅうにあるが2本は珍しい。ここのトレーデイングポストのレストランの上に大きな岩があるが今にも落ちてきそうだった。結構 鮮明に覚えている。   
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最新の旅行は下の方に  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時19分33秒 
[20]  kousinn - 発言者:haruo1  2002年8月24日(土) 12:41    返信
盛会でした。黒岩選挙はこれからの政党破壊選挙の見本と思います。政府が権力組織の主導で動かせなくなる時代のさきがけに。「利権政治の解体のためなら悪魔とも手をにぎる。」そんなこだわりが私にはあります。小沢一郎が悪魔とは思いませんが、
まずさきにあいつは○○の理由でダメというのは私にはナシです。利権政治解体を口先だけでも言っていたら一緒にやろうと言うべきだと思います。そこには安保問題で違いを強調するやり方は利権既得権益死守派にはおいしい隙間としか思えません。野
中がどんなに反戦のふりをしてみても利権派は追いつめる時期と思います。最優先課題が利権政治の解体とみどりを守る。まずはこれだけ。で連合を組むのが最優先課題です。黒岩選挙はその象徴といえるものです。

しなやかな長野県をはぐくむ会法定ビラ1号 200207パース 08長野知事選手伝いとは言えない訪問。



[19]  田中康夫選挙手伝い? - 発言者:haruo1  2002年8月17日(土) 14:33    返信
応援とか手伝いなどと書くと、口うるさい港区議の秋元さんに文句言われそうなので本当のことを書いておく。バブルのときにかってしまった斑尾高原の田舎家を金持ちの秋元さんに買ってもらおうと康夫選挙の手伝いに都議の後藤さんと秋元さんが長野に行っているのを幸い、ポスター貼りくらいは手伝おうぐらいの軽い気持ちで長野に行った。まあ高速が出来たので楽になった。軽自動車で往復600K走った。現地について受付の手伝いをしていたら、秋元さんと後藤さんは候補者カーに付いてビラまきするという。だったら自分は斑尾に行ってパラグライダーでもやって帰ると言ったら、秋元さんが車に乗って同行しろというので、どちらも我がシステム販売㈱のお客様だからつきあった。北長野駅では聴衆の長野県民の熱い気持ちが伝わってきた。あとはずーと車、マスコミの車も10台近く連なっていく。野沢温泉まで付いていっておじゃまでないだろうかと言うことで戦線離脱。当日予約した「安宿、観山荘1泊2食6000円戸狩温泉。宿部屋3、食事3、温泉2循環していた。地下室湿気多し。子供の足音うるさい。宿の対応は4としておこう」近くの暁の湯3。後藤さんには安宿の本じゃなく高い宿の本を買ってかみさんを泊めてやれといわれた。どうもオヤジの法事で泊まった3万円の宿のトラウマからか安宿が良いね。秋元、後藤凸凹コンビニはうちのかみさんも笑いつづけでした。以外と我が田舎家のそばの不動の湯200円良い湯でした。希望湖は霧にかすんで釣り客は多かったが周りの自然林と相まって良いところだなと今更ながら感じた。   
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20020711-16Perth  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時18分14秒 
[17]  20020711-16Perth - 発言者:IkedaHaruo  2002年7月18日(木) 13:36    返信
日記20020718昼1時18分
16日の行動を荷物片づけていたので入力できていない。ここで入力。チェックアウトしたのが朝9時過ぎ荷物をあづけて周りを散歩。RedCat無料バスにのって東方散策。PerthMintでちょうど10時のパフォーマンスの時間になったのでのぞいた。売店の土産は鼻くそのような金の粒が何百A$もする。とてもそんな高価なものには見えない。中でコインに刻印してもらうのが純銀と金メッキでかった。30A$と15A$ならそれなりだ。軽飛行機に乗る約束の時間。ジャンダコット飛行場現地にいけば80A$。送迎は40A$。ちょっと探すのが大変なので120A$で依頼。他の広告に送迎付き40A$とあるのとどう違うのか迎えのAUSSIEにきくと40A$のは一つの飛行機に5人のせる。takeoffはさせてくれない。というからまあいいか。でも30分の飛行時間と言うのが離陸待ちが15分もあって結局乗っていたのは15分120A$についた。アチャー。帰りの日なのでもっとのせろと文句をいうひまがなかった。久しぶりの好天気なので飛行機の数が多すぎた。フリーマントル上空をちょっといってかえってきただけ。帽子をかぶらなかったので熱かった。できればジェットコスターみたいに操縦したかった。Guamではボートをガンガン操縦させてもらったが飛行機はやっぱりちょっと怖いよね。
日記20020715夜8時40分カメラを受け取ってそのままいっていなかったスワン川のほうにおりた。サーカスの象が見えていたので見ようといったら昨日で終わっていた。そのままいままで公園からロンドンコートを見つけてぐるりと歩いてきた。明日でパースとお別れだ。今までPerthのことが前にもキャンセルしてこれなかったので心残りだった。で満足。最後の時間までsupaで本を読んでいた。サウナは寒くなっていたのでジャグジーだけにして部屋に戻って温泉の元を入れてまた本を読んでいた。今7/15のPERTH時間PM11時40分。BBCでBUSHがアメリカの経済の強さをしゃべっているようだが、こいつがしゃべることは戦争をやれば経済がよくなるといっているやぶれかぶれだけのような感じがする。よく理解していないが、、、アメリカのtax catは永久でexpand tradeだと言っているが、環境の持続性を破壊しようとしているのはBUSHじゃないか。get over 病気にうち勝つ1990年代のbingeうかれさわぎから。ふざけんなよ。アメリカが作ったバブルじゃないか日本にはそんな力はないのに最後のケツは日本をはじめとするアジアに持ってきた。
5時半にsupaで吉里吉里人を読んでいたので長くなって戻った。メッセージが残されていたのでfrontにTel。やけにうまくいったと思っていたらやっぱりお金のことでちょろまかそうとするのが地元悪徳業者(この場合はAUSSIE PERTH Toursと言う会社。安いといっても食事なしでバックパッカー64A$というのもW&A94211883関川氏(世話になったので宣伝しておこう)の棚に入っていたので77A$が安いから忘れ物に金くれとえばることもない。こう言うのも関川氏も初めてだとのこと。でも忘れたのは自分で一応届けてくれたからaprieciateはいっておいた)ときまっている。内容はタクシー代50A$払えといっている。とのこと。電話番号を言うからメモしろという。W&Aの関川氏にTELして50A$を要求しているAUSSIE PERTH Tours と言う会社にTEL依頼。相手は50A$払うと私がいったなどとウソまでついていた。長くかかっていたが20A$よこせとか言っているようだ。関川氏は拒否したようだが明日朝ホテルによるとのこと。なんとしても受け取らなければならない。再度安いから金をクレという会社にTELして明日の朝という確認をしたら今日の7時15分にくるから20A$フロントにあづけておけとのことまあしょうがないので20A$で了解。これから下に行って来る。 から3時帰って記入。朝9時にW&ATravelcenterの関川さんに昨日の夜OldShanghaiの帰りにメモを入れて置いた件デジカメの件、電話。ツアーの会社が今日の夕方届けてくれるとのことで一安心。スワンバレーまで電車で2.90A$。25分。パースのInfo.ではMidlandの先のワイナリーまではTAXIと言われたが行ってみた。バスの時刻表は0.10A$で買う。はじめどこのボタンか分からず3回目にやっと目的の部分がでてきた。swanValleyの奥は一日数回しかバスがない。比較的バスが多い手前の2つのワイナリーにまとをしぼり315のバスに乗る。ドライバーに地図を見せてワイナリーの場所で教えてくれと言ったらワイナリーの前でおろしてくれた。こういう親切なバスの運ちゃんはフリーマントルみたいな観光地では見られなかった。田舎ならではの良さだろう。ワイナリーもアメリカのナッチェスのワイナリーみたいに工場の中を見せるわけでもなく、一つは2A$でtaisting。でも1本13A$の安い奴を買ったら2A$は返してくれた。もう一件の近いワイナリーを教えてもらい隣に行く。そこはtaisting無料。一番安い赤17A$を15A$に値切って1本買う。その後来たときのままの巡回路線のバスにのって近所を観光。乗客はたまに乗るだけでほとんど池田一人。駅に近いショッピングセンターで降ろしてもらう。さっきのバス代の時間内だったのでただ。ショッピングセンターではちびっ子歌合戦をやっていた。優勝するといくらかくれるようなことを行っていたようだ。親がどこでもバカズラさげてビデオとっていた。孫が出たらおれもやるだろうな。ショッピングセンターはばかでかい。ナッシュビルのぐらいあるかもしれない。そこで地図の方向と考えて駅はこっちと思ってケンタッキーでコールスロー小1.80A$かって一応駅の方向を確認するとなんと全く逆ではないか。さて昼の日差しの中で方向を全く逆にみたのは何故でしょう?そのときは気がつかないで地図がおかしいとばかり思っていたのですが。Perthについて歩いてやっと分かったのです。北半球では太陽は南なのですがここでは太陽が北だったのです。ツアーで連れて行かれている内は気がつきませんでしたが、昼陽の高いうちにPerthに帰ってきてやっと気がついたのです。Midlandの駅のそばのshoppingcenterで一番安い赤ワイン6A$を買う。Taistingはもちろんない。バスに乗ろうとしたら停留所がいっぱいあってとんでもない場所に止まるので夜と一緒で歩きました。途中いなり2ケ1.80A$安くないをかって。バラクSTで「さむらい」という食堂の前を通りすぎようとしたが、あまり込んでいるので入ってみた。日本人の伝言板があり1A$弱を払って1ヶ月張ってくれるようだ。牛丼3.85A$で持ち帰る。3時にhotelについて牛丼いなり食う。結構量がある。6A$のワインでも結構いける。日本の安ワインで充分かな。でもnachezのワイナリーのは旨かった。1DZで頼みたいのにmailがこない。又行くか。SwanValeyのワイナリーのごく一部だがあんなもんだろう。もう充分。これからsupaにいって寝るか。
日記20020714PM9:20WaibRock今朝の迎えのバスは遅れて7:30を少しすぎた。14人乗りのコーチ。12人の客。昨日もいた香港の女性。台湾の女性。他にどう見ても日本人、もっとも香港も台湾もどう見ても日本人なのだが、の少しかわいめの若い女性二人。聞いてみたらマレーシア人の留学生。話していてデジカメを忘れた。車の中で明日旅行会社にテル。あったことだけは確認した。ブラスモンキーのレッドバックというビールが   
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20020712  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時17分8秒 
[18]  20020714-11 - 発言者:前のは14-16まで  2002年7月18日(木) 13:41    返信
(続き)
レッドバックというビールが珍しいと書いてあったので6.50A$。飲んでいるときに写真を撮ろうとして気がついた。使い捨てカメラでとった。あとOldshyanghai屋台村みたいなところで夕飯。smoll dishで盛り合わせて6A$。Beer小さめ4A$。結局使ったのは18A$くらい。帰りにinternet 1A$で20分。WaibRock一度見ておけば良いな。何時間も車にゆられていくほどのものでもない。Pinnaclesも同じ。マーガレットリバーも何時間も車にゆられるのも疲れるのでいかない。明日はゆっくりカメラを受けとりにいってからスワンバレーでもいってくる。やっぱり歩きかな。アメリカの規模にはなんでもかなわない。つぎは南米のイグアスの瀧にいこう。強盗にあわないように気をつけて、ツアーで良いか。強盗怖いから。書いているとすぐに1時間経ってしまう。SUPAは今日はもうおしまいだ。昨日の書き忘れ、Pinnaclesの行き路上にワラビーの死体にカラスがたかっていた。帰りの車線になるのかdriverはふんずけて走った。その先で牛が道を渡りそうだった。彼は車を止めた。牛はあわてて走って道路を横断した。牛もカンガルーも車にひかれるだろうな。
日記20020714AM6:25 10時頃寝た。SUPAは腹筋がつらいのでやめた。なれないことは無理しない。Pinnaclesは200A$の4WDツアーと比べてもそんなに違いはない。海岸ぐらい車で走ることもない。自分の足の方が健康によい。回転寿司のネタの大きさを考えてもやっぱり日本の方が物価は安い?
日記20020713PM9:00今BBCの女性アナウンサーがprimeminister川口と言っていた。外務省はこういうことも言わせているのか。
朝7時半の約束なので7時20分コーヒーを飲んで出かけようとしていたら電話でせかされた。あわてて下に行く。Pinnacles大型バス総員27人。みんな77A$できているのかな。日本人とはっきりわかる家族3人他は顔は同じでも香港、シンガポール、地元の中国系。ちょっと中国語で話してみた。白人2人位。よくわからない。途中オウムを手に乗るところによって。つぎなんとかナショナルパークでコアラ。どっちも興味なし。ピン8A$。コーヒとオレンジ2.50A$。Pinnaclesのみ期待。入口のところでサンドイッチランチリンゴ、オレンジジュース付きコーヒ紅茶ミルク入れ放題。ヒカルちゃんにまだはけないのにコアラの室内履き17A$C他7.50A$C カレンダ10A$。夕食はステーキの広告(TNTというパースで最高のステーキとかいている)にコースを頼めばビール1杯無料というのにつられ、また、ディナー10.50A$からとある。勝手にステーキのこと思い込む。なぜなら去年の夏アメリカの田舎のカジノホテルのステーキディナーが9.90$だったので感動していたから。今年の1月のシドニーでのステーキの高さに頭きてタクシーに荷物を忘れた記憶がある。こんどこそオーストラリアらしく安いステーキが食えるんだろうと思い込み。昔スノダさんたちと来たときは安かった。期待に反して10.50A$からというのはサラダバーの軽食をディナーとしょうしてたのだ。注文もこっちがカウンターまで催促に行かないとこない。日本語メニューはあるが頼んでも持ってこないのでこっちで取りに行く。注文も2回声をかけてやっとくる。タダのビールはコップ1杯。おかげで31.50A$Cで支払い。アジも肉質も日本の居酒屋天狗の方が安くて旨い。いつものことか。OGって思いこむほど住み易くないかも。昨日のツアー会社の関川氏は所得税は35%と高いが医療がただ。満員電車がない。と言うのが魅力だそうだ。物価はアメリカのことニューヨークしか見なければ物価は高い。日本も東京のホテル代だけなら高すぎる。日本には白い温泉がある。贅沢しなければ最近の物価は安い。有料道路やガソリンは異常な価格なのは政府のたかりやどもの存在を退治しなければ変わらない。どっちがましかね。結局国家体制を行革の小さい国に変えることができれば日本。できなければ米豪。かな。
日記20020712PM8:00Pinnacles1日77A$C(120A$) WAIBEROCK1日77A$C(120A$) AIRPLAIN120A$C 昼飯回転寿司13.90A$C。 電車5$ FremantleのWestEndまで歩いて海をみる。大雨が降りしばらく工場のような倉庫のようなビールの醸造所で休憩ビア5A$。Kingscrossって大きな木があるところ。 FremantleJAIL14.30A$Cこれは大事ボーナスツアーの女刑務所まで特別に見せてもらって2時間。日本人は一人だったからか。他の人は来週とか言われていた。もう3時半から始まって5時頃になっていた。みやげこの後のツアーは日本語解説なし。かたことで雰囲気しかわからない。刑務所の外がmarketだった。トウモロコシ辛いのを塗ってもらって3A$。うまい。caryTOFUとcarryVEjiでchainesesuper7A$。 みやげ蜂蜜23A$。帰りの電車でパースまでの2.90A$が細かいの足りないので1区間1.90A$をかって車内の検札の時に払えば良いかと思っていた。駅構内に係員の詰め所があったので聞いてみると車内では買えないと言われた。と言うことは捕まり何倍かの罰金がとられるといことなのか。係員は1.90A$の切符に書き込みをしてくれてお金はいらないそれでOKと言ってくれた。もっとも今日の行きは有ったが帰りは検札なかった。駅からバスに乗らずにMARCYなど通り抜けてHEYSTを歩いて帰る。これからSUPA行ってねる。翌朝7時半には車寄せにいないと。Pinnacles。
日記20020712PM8:00朝9時ごろサンダルで出かけたら時々大降りで寒いのなんの。cityまでバスで出たが戻ってきた。靴を履いてビニールジャンパーをもう一枚下に来て出る。A&wツアーの場所も部屋からきいた。行ってみるとJALのルルブに出ていたタウンホールはカンガルーの彫刻の有る場所。公園になっている。電話で聞いてもガラスのタワーまで行かないという。公園じゃないか。道路にはバラクSTはエスプラネードSTにはいってもバラクSTとある。関川という人も公園にいるといってんだからわからねえかな。結局ルルブがタウンホールの位置を間違っていたのが一番の原因。とかいたがよく見ると自分がノボテルラングレーホテルの道をヘイSTと思いこんでいたと言うか、関川氏の話もそう思わせる話しぶりだったので間違えた。ルルブは間違っていなかった。何が分からなくなったのかというと、ホテルのあるアデレードテラス通りがバラクSTからセントジョージテラス通りに変わっているからだな。
2020712AM9時雨が強く降ったりやんだりかさは欠かせない。台風みたいな強い風も吹き飛行機はだめか。飛行機0417970396A$80 WESTERNTRAVELBUG1800627488 ダイオリック94211883関川
20020712AM6:00昨夜はスパに入って寝たのは7時くらいか、夢はロイヤルホストなのにちんけなお好み焼き屋のような座敷でそこのママさんは女優の何とかという美人だが色気のない人のようだがなぜか私の知り合い。出す昼のランチが変なランチで饅頭とか汁粉みたいな甘いものづくし気持ち悪く成りながらも我慢して食っている私。そのママさん(ロイヤルホストなのにママさんが席に来てご飯よそったりするのも変)と何もないまま寒さで実がさめた。ベッドは柔らかめで気持ち悪い。でも食い物の夢それも望んだものでもないのに変な夢。夢ってそんなもんか。昨夜はワインとサンドイッチで終わり。朝は4時に目が覚め、又寝て6時起き。3つの内1つ   
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昔の旅行移動中  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時13分3秒 
[16]  HOW AER you doing - 発言者:NowIm In Perth  2002年7月14日(日) 20:19    返信
I think a litte wonder what comment writing something .


[15]  Cebuにいきました - 発言者:ダイバーいけだはるお  2002年5月28日(火) 13:42    返信
セブ島でのダイビングツアー20020507~11まで
5/8学科講習13時までなんとか合格。午後はジェットスキーに乗ろうと思いツアーデスクで価格を聞いた。70$。高すぎる。アメリカで25$。日本でも3-4000yen。むちゃくちゃ。初日の夜食も高かった。まずかった。PacificCebuResortHotel。外に出るには往復6$でAYARAShoppigcenterに行く。行きは1人だけのドライバーkarupiyoという人。変な土産物屋につれていくので、GUNshootingがやりたいというと帰りの迎えの客のことなど考えていないのか全く元の道を戻ってまでつれてきたのが別のResortホテルのGUNshooting。20発60$一発135peso。他の現地の人marioバタバタDriverに聞くと115pesoといったのもいた。どっちにしても高い。とこれもGUMに比べても倍ぐらいの価格。帰りには回り道したから500pesoくれという。翌翌日にジェットスキー30$の約束をしていたのでそのとき払うといってAYARAShoppigcenterでおりる。ここはCEBUで自慢の場所なんだろう。結構大きくきれい。映画を見た人の話では20peso=60yenだという。食事した。安物ワイン買った。1本175peso。これはホテルのグラスワインの価格。帰りは何人か乗ったのでワゴンだった。5/9午前中poolで講習。午後pierで8M25分と21分二回もぐる。9気圧でも体験ダイビングとは全然違う。景色も最高。10日は離島に行くのでkarupioには120pesoあげてキャンセルした。はじめ文句言っていたけど、はじめに6$払っているのだから500peso追加請求はおかしいことを言ったら250pesoコンタクトは近くが全く見えない。老眼もつらい。離島は+100$の価値はある。この日は4時ころもどりLogbookを書いて終わり。門の外に出てバタバタTAXIに交渉。frontでは50pesoと言っていたが、相手を見て値段を言う。私には30pesoという。現地の人間は8pesoだそうだ。何も知らない日本人は200pesoもふんだくられる。翌日別のドライバーは80pesoと言ってきたので断って歩いた。そのオヤジの目的は女を売ることだった。3000pesoといってきた。食事だけといって断った。バーベキューといって鳥の丸焼き売り子にいくらと聞くと50pesoといった。しかしバタバタdriverが110pesoといって買わせない。別の店につれていったのがもっとバラックの写真掲載の店。30peso。もも肉。結構うまい。ケンタッキーより美味い。夜は500pesoでマッサージ。これは台湾の価格よりもやすい。台湾はほとんど物価は日本と同じ。台湾は給料も日本並だろう。Phirippinは価格はレートは1peso=3yenだが生活実感は1peso=20yenくらいだ。karupioに離島に行くので約束の時間にJetskiに行けないと連絡。再確認すると30$が50$に変わっていた。この調子ではまたあと500peroなんて言うと困るのでやめた。全く油断もスキもない。この国は自分が小学校1年から3年まで池田博mydadが三井物産解体後日本tradingの現地所長として赴任。当時のmagsaisai大統領に銀のカップをもらっている。少しは親近感がある。5/10やっとゲットしたCカード。耳抜きがうまく出来ず痛い思いをした。なんと18mもぐった。41分36分の二回。最高。宇宙にきた気分。老後の楽しみはダイビング、乗馬、スキー、ゴルフ、射撃とくれば数十億万長者の生活。テレビで伊藤四朗が働いて休むからいいんだよな。と長者の生活を揶揄していたが、10億お金があったらどうするか。と司会に聞かれて、すぐ「そういう生活をする」と答えて笑わせていた。cebuは周りが貧しすぎて産業が必要だろうが、売春が産業ではかなしすぎる。この日も4時に終わってバタバタと値段が折り合わず歩いていたら、さんざん追いかけてきたが後で追加料金を言い出しそうなので歩いていた。サイドカー付き自転車で飲料水を運んでいるカシノピペタさんが話しかけてきた。自転車をこがしてもらって屋台の有るところまで降りて20pesoむりやりあげた。当人はここら辺1人で歩くと危ないという。露天風呂と書いてあったので来た。しかしなんと2000~3000pesoというのは売春宿のようだ。忠告に従ってのせてもらった。焼き鳥串ともも肉40peso。あとパン屋一口のパン1こ1peso。ソフトドリンク8peso。買ってホテルに送ってもらった。もう10pesoあげた。
翌日は帰国。初日遅れた女性二人結局学科をやっただけで市内を遊んで回っていたそうだ。バタバタに200pesoとられてdriverの家までいって怖かったとのこと。すごい度胸としか言いようがない。


[14]  CEBU IS. - 発言者:haruo  2002年5月13日(月) 18:02    返信
I got OWD PADI`s C card.On this trip.
Please Write here your massege.
I will waiting.



[13]  インドは2000年5月でした - 発言者:池田  2002年4月5日(金) 16:08    返信
200005日記
インドとフンベルトワッサー
at 2000/05/08 14:08

2000年5月6日のNHKで偶然、フンベルトワッサーという米米倶楽部のカールスモキー石井の尊敬するヨッーロッパで大変有名な画家 建築デザイナーを見た。彼は取材を受けた199911の後200002に死去した。
ニュージーランドの広大な敷地に牛小屋を作り替えたアトリエ。豚小屋を造り替えた住まいでウンコを土と混ぜ緑茂る屋根にまいていた。彼の造る建造物は屋上に土が1m以上盛られて緑を奪った土地を屋上で返すという。5つのヒフ。人間のヒフ。といくつかのヒフと地球というヒフ。ヒフに私たちは覆われて暮らしている。という彼の哲学は彼の生き方を自然の中に当然ゆかしめた。

インド旅行ではお世話になりました。
インドでのカルチャーショック。特にバナーラスでの、きっと忘れられない思い出でしょう。漠然とインドに行きたがった当家の山の神は街頭のしつこい物売りに夢でうなされたようです。


[12]  インド - 発言者:池田  2002年4月5日(金) 15:58    返信
さっきTVでインドに嫁いだ日本の女性がでいていた。外にも1人で外出禁止。旦那と一緒に食事もできない。4年間毎食カレー。あのカレー。やだね。1日3食だけでもとてもがまんできない。なんでインドにとついだのかね。食事だけは日本が一番。海外のまずく高い日本食をくうと、天狗の安くてうまい日本食が一番いい。だからかえりに時間があえば寄っていく。今度の休みはかみさんと中国。その前に1人でどこかに行きたい。


[11]  台湾は暮らし難い - 発言者:ikeda はるお  2002年2月20日(水) 08:50    返信
台湾の物価は日本と比べるとだいたい4倍に見えた。
三越の衣料品などニュー台湾ドルNT$で表示されている価格がそのまま日本円の表示ではないかと錯覚するくらい。その4倍が円価格と言うのでは大変なもの。また漢字の表示も英語表示よりも理解できないことがほとんど。物価は確実にアメリカの田舎の方がやすい。シドニーも高かった。   
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2002年1月18日両替損得  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時11分52秒 
[8]  両替損得 - 発言者:池田治夫  2002年1月18日(金) 13:13    返信
だいたい海外へ行くときは円安。帰りに円を買うと円高。
ドルならそのままで良いが、A$だとやはり変えておこうとinchoenでウォンに変えるとはじめの8600円100A$が64000ウォン結局8600円が6400円になっていた。これが逆に出来ればと思ってだいたい失敗する。でもこのまま貨幣が信用できるのか不安になって金の取引で大失敗したこともあるし、結局は素人は、3分割して資産防衛をするしかない。老後が何より心配なのは政府が全く信用できないから。だからデフレは収まらない。今回の旅行で保険料別途7日で5000円入っていたが、タクシーに置き忘れたのは補償対象でないとのことでチョン。アラブ主張国連邦に行ったときも珍しく高いカメラを持っていたのだがタクシーに置き忘れ。今回も買ったばかりのジャケットやビデオのバッテリーなど高価な品を紛失。盗難でなければ携行品保険に当たらない。成田に帰ってから、荷物を宅配便で送ったところ、スーツケースが乱暴に扱われたようで足が破損本体に穴が開いていた。業者の修理しますとのことで持って帰ったが新品に交換となった。(佐川便)古かったのでかえって良かった。注意事項は持ち帰るときにキチンとした受け取りをおいていかなかった。何にでも書いてもらうこと。以前金魚鉢を送って来たとき割れていたがヤマト便は持っていったまま行方不明に、なったことがある。   
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シドニー二回目 2002年1月15日  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)14時08分16秒 
[7]  シドニー二回目 - 発言者:IKEDA HARUO  2002年1月15日(火) 18:03    返信
20020105 日本では1A$83円で5万両替。4時発のKEが故障でUAに乗り換え5時半発7時50inchon仁川空港着。結局荷物積み替えは間に合わず、
20020106日朝7時半SYD着現地で着の身着のままで地下鉄CityRail 1WPass97A$2人 フェリー込み fery使わなければパスはムダ。毎日8から10A$分5日使用。オペラハウス先1Hfery湾内クルーズ。後Rocks散策。生かき、ここではNaturaloistarという。米国ではRowoistar。12こ28A$。ワイン赤グラス9A$x2=52A$。歩いて近いと思ったがRoyal植物園、NSWmusiamを通ってKingsCrossのCrestHotelまでかなり歩いた。日本の業者に依頼したら6800円x4泊は現地では65A$x4泊。一眠り後。周りを散策。ワインと4XBeer10A$。カツ丼ビビンバ丼20A$。ホテルのSUPAGESTCHARGE12.5A$X2人。
20020107朝9時起き、雨のためFOXStudioを変更してCityRailでCerQulaque駅へFeryでDarringHarbarへaquarium20A$混んでいたのでImaxthiaterへ。MachineWasBroken。SoWeCantSeeIt。&WeWentToTakeCheepLunch. 25A$。海事博物館、潜水艦、駆逐艦Destroyer20A$X2人。割引券20%OFFが英文案内書SYDAirportでおいてあったがそのときは気が付かず。使えず。POWERHOUSEMUSIAM20A$?X2これも割引忘れ。MONORAILと路面電車の駅を勘違い。また歩いた。6時頃まで。帰りは至近駅からMONORAIL一週してDARINNGHARBARまで戻る。4A$X2。回転寿司20A$。IMAXThiater2Dの時間だったのでFERYで戻る。みやげ18A$21A$。10+5+11A$夕飯。ビビンバ巻き寿司他。
20020108朝9時10分CENTRAL駅発KATOOMBA行き10:30着。車内かなり寒く上着を忘れたことを嘆く。駅前に上着売っていたので一番安いのが30A$X2人買う。あとでこれを乗り慣れないTAXIに忘れてしまう。昼20A$。ブルーマウンテンまでは列車で加算往復11.5A$x2。ただしブルーマウンテン現地でのシャトルバス4A$を使わずに12A$フリーパスはミス。ケーブルカー10A$。滝のうえまでいくロープウェイは10A$。向こうの言うのは ケーブル5A$+帰りのロープウェイ8A$これはケーブルカーの帰りに乗りたいので乗らなかった。滝まで10A$+シャトル12A$=30A$を28A$割引で26.5A$と言うことでほとんどツーペイ。バスツアーでくると思い切り歩くが45A$から145A$まである。金額はとんとんだが、自分でペースを作れず向こうのいいなりなので列車で行く方がまし。夕飯はステーキを食いたいというので、ガイドブックにあるCHEEPDAININGというTHEOAKSというRESTRANにNORTHSYDNY駅からTAXIで8A$でいく。自分で焼くTBoneStake18A$。そんなにでかくない。ミートパイ15A$。内臓肉ばかり入っていてまずい。BEER5A$。ルルブのガイドブックの10A$という話とはずいぶん違う。日本の方がやすい。帰りのバスは全くわからず。店の前からTAXIで駅まで7A$。そのときに2つのうちのもう一つバックを忘れた。その中には寒くてブルーマウンテンで買ったジャケットがその後すぐに暑くなって着ないままバックに入れていた。ビデオのバッテリーなど。ホテルマンが届けろというので、TIP2A$出して頼んだのだが結局ホテルでは何もTAXI会社に聞いたりしてくれなかった。翌日警察に届けた。
夜AMPTOWER20A$X2が20%OFF。上に登って夜景を見てから下の階でバーチャルツアー、大げさに時間とった割につまんなかった。KINGSCROSSでインターネットやる。盛んだ。日本語も見れたが、書き込みはローマ字。20分1A$は安い。うまくいって機嫌が直る。
20010109朝から警察。日本よりもやることは少しばかり早い。TAXI会社に電話もしてくれた。はじめの男はもっと英語のうまい友達いないかなんて言ってくれたが、二人目の婦人警官がキチンとやってくれた。ファインNO.というから何かと思ったらPHONEだった。TVではフロリダで子供がセスナでつっこんだといっている。新聞を見るとビンラディンの影響とある。日本に帰って新聞を見るとテロではないと強調されているが、組織だっていないがテロである。
警察のオッサンにFOXスタジオまでバスで行き方をきくとTAXIでいけという。6A$だというのでTAXIでいくと9.1A$。ましてスタジオは2ヶ月前に倒産。タイタニックのろうそくを半額で売っていたので買った。なぜか買ってしまう。帽子。トランクス。WE BOUGHT SOME SOUVENIA 50%OFF。&WEWALKAROUND Centenialpark. There was many very big trees. &was very large place. Amansaid WE must walk more 1Km toSt. So we take a taxi.to BoudiJC St. 5A$。We returned to our Hotel. Take a Brake. &We went To cerqulaque ST. &went Manly beach By fery. A little cold so we couldnt swim. We bought THAI food for dinner. 18A$.9 We will come tomorrow watson Bay. FINAL holiday in SYD.
日記2001/1/12
Sydny10Jan 朝食池田もホテルのまずいのはやめて、昨日の残りの飯に赤い狐を入れて食った。こっちのほうがうまい。watosonbayにいく。gapbluffが最高に見所だった。bluemountainよりも感動した。いって良かった。beachで水にはいる。すぐ深くなるのはワイキキと同じだが、水はかなり冷たい。結構他の人はなれているのか平気な様子。沖縄の秋ぐらいなのかな。船着き場のすぐそばの高額レストランで伊勢エビを食っているのをみてつられてはいる。Janesemenueというと持ってきた。カキただの1ケとさしみ日本の2皿ぐらいで18A$。伊勢エビは一つを半分に切って二切れ25cmくらいのものフライドポテト山盛り53A$。ハイネケン2本11A$。海老はうまかった。カキは日本が一番うまい。ニューオリンズのロウオイスター12ヶ12$よりもsydnyのnatulalオイスター12ケ31A$よりも「天狗」の1ケ100円くらいの生ガキがどこより安くてうまい。
やはり日本が住み易いか。
watosonnbeyからferyでホテルにもどる。エリザベスハウスをビクトリアハウスと間違えて人にきいたら、ビクトリア通りの宿屋を教えてくれた。ビクトリア通りはバックパッカーの宿がいっぱいある。23A$から泊まれる。1人部屋で45A$くらい。そのままcrestHotelにもどりガイドブックもってtaxiでエリザベスハウスまで5A$。しまる時間だったが電気の消えている中を見て回る。本当は入場料6A$くらいみたい。歩く道はわかりにくい。細い階段を歩いて戻る。ぎりぎりまでspaにはいる。チェックアウトしていたがゲストチャージ12.5A$にしたが、マッサージが65A$から12.5A$マイナスの52.5A$x2人で。かみさんの方はオイルマッサージで上手だったとのこと。男のマッサージ師は日本語ぺらぺらの韓国人2年間日本でマッサージ師をやったと言うが真剣にやらない。「たこ焼きたべたいなあ」なんてしゃべりはうまいがマッサージはからっきしだめ。中国人の素人のマッサージ師とおなじだった。帰りは7時半にホテルをでた。セントラル駅で乗り換えてインターナショナル駅へ。チェックインカウンターはちんたらやる係員で結構時間かかり、ぎりぎりで8時50分の搭乗はもう始まっていた。結局買い物も出来ずに飛行機に乗った。
翌朝inchon空港で買い物。キムチとたばこだけ。SYDの町中の両替商で1A$が72円というのに釣られて1万円両替したらインチキ。86円だった。そのときのが残っていたので100A$を韓国ウォンに両替。実際は6000円くらいのはずが、2重に両替しているので1万円近い価格についている。マッサージ60000ウォン40分。女で結構うまかった。はじめの約束と10分遅れて始めたので、40分を30分に変えてもらった。30分5万ウォン。終わって1万ウォン返してくれと言うと、はじめから5万ウォンしかもらっていないと言う。あっと思ったのは、受付の時に受け取りを書かなかったのがおかしいと思って手書きで開始の時間と名前を書かせたのだが、金額を書かなかった。まさかこんな立派な空港内の施設でこんな詐欺まがいのことを今の韓国がするとは思わなかった。納得しないので繰り返すと渋々返してくれた。必ず一つの旅の中でなにかしらコミュニケーションに努力が必要な事が起きるものだ。引っ込んでしまうとなめられるので命の危険がないかぎり主張する。   
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2001年9月3日アメリカ南部旅行  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)13時45分13秒 
[3]  旅行記値段も書いているよ - 発言者:haruo1  2001年9月3日(月) 15:17    返信
2001年8月2日から8月14日のアメリカ南部旅行
8/2 17時40分発UA882便でシカゴ到着同日15時40分着
地下鉄ブルーライン1.5ドル
東京ホテル50ドル(1泊1室)だが異常にきたない。17階までじいさんのエレベーターボーイが部屋を案内。廊下には工事の鉄材が散乱。あとでわかったが、いろいろなホテルで工事中でもお客がそばを通っていくことがたびたびあった。あまり気にしないみたい。部屋も妙に臭いのでnexttimeといって近くのcasshotelにゆく。きれいなのは天と地の差があったが1人2泊でと話したつもりが精算すると。1泊99ドルやはり金額は紙に書くべきだった。ジョンハンコックセンター展望台1人9ドル。隣のワータータワーの1Ffoodlifeで食事2人で23ドル。
8/3 バス路線146でシェッドアクアリウムへ。1日券15$。イルカショウのピエロが笑えない。言葉がわからないだけではない。ここからネイビイピアまでWATERTAXIで6$*2。HOTdog3$。観覧車4$。無料バスでカポネズシカゴとプラネットハリウッドにゆくも散々さがした結果廃業だった。REINFORESTCAFFEで食事。25$二人。ド派手なパンツ15$。ナッシュビルのRFCでは20%オフでした。ハードロックカフェTシャツ25$。歩いてかえり4h眠る。夜BluesまでTAX10$*2。ライブ10$*2。安いね。ドリンク4$Each。Tシャツ24$。
8/4 朝8:50ナッシュビル着。空港のダラ-レンタカーネオン最安値10日で300$弱。対物保険加算80$。12642マイルから。空港からROOT40wへの入り方よくきくべきだった。ちょっと迷った。宿泊先が決まっていないのでルート40でクオリティーインをみつけ付き1室69$で予約。デイズインよりきれい。市内にむかう。オープリーランドのそばで食事。2人で23$。リブステーキはうまい。WAXmで3.5$。おもちゃmで2.5$。ウィリーネルソンm3$。ビア買い込み。健康まずまず回復しつつある。市の中心部へ。プラネットハリウッドここのはつぶれてなかった。Tシャツ20$。パルテノン神殿3.5$。3時頃にQインにもどる。うちのかみさんは胃が5分の1なので出前をたのむ。中華20$結構腹一杯。うまかった。
8/5日 昨夜の残りと朝パン食って8時発メンフィスへ300K。途中40W108M地点でG9.7$。6.8G。南軍CAP19.8$。メンフィスピラミッド12時着。エジプト展やってた。14$。説明英語のみだがさすが英国博物館の所蔵品。カイロ博物館よりいいのは持ってきた。という感じ。しばらく南下。エルビスのグレースランド、通り過ぎてしまうくらい看板なし。人にきいてやっと探して邸宅見学ツアーの切符を買う。16$。日本語説明有り。見応え有り。17時発。ヘレナに行こうとして、途中28$の看板に釣られ、ツニーカのCASINOホテルフィッツジェラルドにむかう。満室。戻ってKINGSINN 40$部屋はみんな1室あたりの価格。汚くもなく普通のモーテル。晩飯は出前なし。CASINOで食えといわれいく。20時半ステーキ7$ででかいしうまい。でも残して持ち帰り夜中再挑戦した。夕食代22$。
8/6ツニカ12964マイルで発ホットスプリングスへ。朝ヘレナを見る。町並みが童話の世界のようだ。フォンカードを買う。この10$はほとんど留守電と呼び出し時間で使ってしまった。途中の町CLEARENDONでガンショップによる。いい老夫婦がやっていた。店の中は小さな戦争ができるくらい銃があった。修理もするそうだ。かみさんが迷彩服をいくつか買った。60$くらい。
アーカンソーの農地は広大だ。セスナで農薬をまいているののに2,3回あった。息を止めて通り過ぎた。リトルロックはクリントン前大統領がアーカンソーの州知事をしていたところ。昔の州庁舎は入場無料。結構見所有り。議場の内部では昔の議会の様子をビデオ放映中。今の州議会は行ったが車の駐車場がなく、パトカーに追い出された。630Wから30Wに行こうとしたが行けそうになく、途中で630Wを出て630Eに入り、30Wへ、無事ホットスプリングスにつく。ダウンタウナーイン57.35$にとまる。スパは35$3時に終わっていて朝7時という。ハミルトン湖にゆく水陸両用車に乗る。シカゴで見かけていたので地球の歩き方にも良いと書いていったので12$払ってのったがひどい。暑い、遅い。往復40分。湖上20分。この朝はステーキの残りをくって、昼は走りながらケンタッキー。ケンタも日本に比べ遙かに安い。見かけるとケンタくってた。夕方、ハンバーガー店で10$くった。が20時ごろ(まだアメリカでは明るい)中華12$持ち帰り部屋食。チャーハンをフーヤン3.8$という。うまかった。ハンバーガー4.7$よりやすくうまい。
8/7 朝7時にはスパに1番のり。日本人らしき夫婦が一組くる。韓国人の医学生夫婦だった。日本人はシカゴとナッシュビルとニューオリンズでみただけ。
まずウィールプール泡風呂に15分。スチームに数分。これいらない10$。マッサージは2,30分やってくれる。オイルつけてしっかりと15$。インドでオイルを眉間に垂らすだけで100$とられたのが詐欺だとこのとき気づいた。
ホットスプリングス市内の無料の温泉水をくんだり、マウンテンバレースプリング社で水を買う。ホワイトハウスの水は別にクリントンに関係なく昔からここの水という。たしかにうまい。展望台5$や昔のスパ無料見学なども見応え有り。昼飯昨日の中華にもう一度いく。10$。ここを13時すぎにでてペチットジーンに向かう。アーカンソー紹介のhpにヘレナと一緒にのっていたので行く。なんとかついた。ステイトパークだった。ここの渓谷を小さな緑のグランドキャニオンと私は名付けた。すてきなマザーロッジ1室58$。ここもプールつき、結構多い。熊岩なども結構大きくすごい。夕食はステーキなどの気分ではなく、サンドイッチをくった。酒はない。
8/8翌朝反対側の渓谷の上からセダー滝を見に行くと、途中にレンジャーがいて、何組かまとめて引率して、ロックハウスケイブでレクチャーする。教えられないと気づかない昔の絵などがある。山の上の亀岩は鳥が岩を落としてひびが入ったみたいな冗談をいったようだが本当の原因はよくわからなかった。昔は海底であった。たしかに砂はビーチの砂と一緒だ。ほんとは更に北のブロンソンに行こうと思っていたがニューオリンズにと思い北行きは中止。裏道で迷うがなんとかもどり、クラシックカーのm5$。でクリントンのムスタングをみる。乗馬20$45分。ちんたら歩くのじゃつまらないので走らせてくれといったらだめといっていたのに終わりの方で急に走らせるぞなんていうのでビデオを構えている内にあっという間に終わってしまった。13310マイルで出発。13323マイル満タン4.97G6.22$。13490マイル満タン5G6.44$。ケンタ夕食8$。13532マイルでレイクビレッジのラマダイン52$税込みプール付き。朝軽食有り。ここでラマダインが気に入りこの後ラマダめぐりが始まる。ここの前にエコノミーインというモーテルを見たが、経営者らしき親子がだらしなさそうできっと部屋も掃除してない感じなので30$だったがやめたあとなのでよけい良かったか。
8/9朝12時まで部屋良いというので近くのレイクチコステートパークにゆく。なんとレンタルのエンジン付きボート普通は1日24$?か半日貸しなのだが1時間貸してくれというと8$で貸してくれた。シカゴのWATERTAXIの12$と比べ中身が濃くて格安。思いっきりボートを乗り回した。ちょっとしたこつで船外機のエンジンも簡単。
このたびで一番のお得だったかも。昼に戻り、シャワーをあびて出発。一路65Sへミシシッピを渡りナッチェス市内へマンモスプランテーションを見学のつもりでいって190$の部屋見せない写真だけというのに泊まってしまった。たまの贅沢ですか。かみさんがエアコンきかないというのでフロントにいったらなんと255$のスイートにかえてくれた。190$のへやは1部屋で1バスルームだが、こっちは2部屋(スイートは続き部屋という意味なので当たり前か)2バスルーム。晩飯は17時からカクテルタイムという18時から28$1人の食事。カクテルはタダと勝手に思ってなんだかんだ飲んで飯代くらい飲み代とられた。おまけにボーイにそのたびにぜーんぶチップ出してたからまぬけでした。
8/10朝早く起きて市内をざっと見て7時の朝食。夜と場所が変わっていたのでちょっと遅れた。オールドサウスワイナリーは当然まだ開いていない。もっとも2日後には行けた。食事が114$二人。泊まりは190$でした。9時発。61Sへバトンルージで道に迷い、不思議な鉄道の十字路を写真に収める。ゆっくりきた貨物列車からひとがおりて手で遮断機をあけてまた走ってい行った。なんとかS110からW10へ入れてS1に。13825マイルで満タン。ホワイトキャッスルはPASS。オークアレイ10$。ここのすばらしさは写真ではわからない。61はミスS10でニューオリンズへ入るべきだ。道が混むし、結構近い感じになってからが遠い。空港近くコンフォートイン?110$。Qインも130$。やはり大都会はどこも高い。安宿紹介のダウンタウンではホームレスが道を教えると行って足を引きずりながら教えてくれたので1$あげた。でも場所は正しかったがホテルは廃業してたぞ。地球の歩き方。今年版のアメリカ南部だよ。ラマダは満室。隣のアベニュープラザ103$(スパ5$あり)駐車場なし路上駐車で何とかセーフ。風呂が21時までだったかぎりぎりで泡とスチームとサウナに入り、夜フレンチクオータに来るまで向かうが、あまりに寂しい町並みで方向が不安になり途中で引き返した。サブウェイでサンドイッチ買い、部屋で食ってねた。部屋はキッチン付きのコンドミニアム風で冷蔵庫もでかく古いホテルの割には結構快適だった。シャワーもスパのよりいい。
8/11朝10:30~12:30駐車場7$。駐車場の係員が長々と世間話などしていて時間オ-バーしそうだなと思ったらやはり2分オーバーで言うから文句だけはYOU SPEAK TOOMUCH WASTE TIME。I WAS WAITING。といって譲らなかった。他の人間と相談してゲイトをあけた。たとえ2$でも言うべきことは言わないとなめられるから。。。この2時間フレンチクオーターをぶらついた。ハードロックカフェは帽子を買った。Tシャツはあきた。オイスターバーはROWオイスターに限るね。変な具をのせた奴はまずい。ビネガーもらって醤油で食うのが一番。12個で12ドルだったかな。ぺろでした。フライドオイスターは3種類6個で8$。まずい。ビアつきで23$。となりのパキスタン系の店でCASHで鞄など60$。13957マイルで出るが、大雨が降り出し道もわからず逆方向の高速にはいる。橋を渡って見ると短いここじゃないと戻ると、有料ゲイト。ここかと北方向かときくとそうだというので1$とはまた安い。しかしこの間の道路で有料はここだけ。ニューオリンズ市内にはいるただ一つの有料橋だった。やっぱりここでもないと地図を見直し、10wからレイクポントチャートレインをわたるための出口228が重要。橋のことは何も書いていないので注意。約100Kのスピードで40分はかかった。絶対東京湾の海ホタルより長い距離だ。ここは地図には有料となっていたが、無料になっていた。w12に入るとき14000マイルになっていた。N55へはいるとき14025マイル14:20。橋の長さ50キロあるかな。この日はパトカーN55の20出口までで5台くらいと多かった。途中のスコールも多く。タイヤがうきそうになってびくびく。N98+84ではハンドルが2回とられた。61Nにはいりミリタリーカレッジへ。14148マイル16:15 8/11 Sへ戻ってコンフォートイン悪くなかったが63$ならラマダはどうかなと思いあとでといってナッチェス市内へ。ワイナリー開いていたので入っていくらくらいかときくと、おばさんがハイクオリティでベーリイクスペンスィブなどとぬかしやがる。貧乏人と見てうらねえつもりかととっとと帰ろうかと思っていたらテイストするかというのでお願いしたらこれがうまいんだ。改めてきくと2本で12$安いじゃないか。ぜーんぶまとめて買ったろうと思ったがもって帰れない。インターネットで注文しようと思っているが、返事がない。パ-ルハーバーの映画見て日本人なんかにうらねえと決めたのかな。おばさんはロゼがいいというが、それぞれみんなうまかったな。マスカットからなんかくすりみたいなのを売っているようなのはインターネットで知った。ミシシッピ河畔に出る。ここからラマダインヒルトップに行く。見晴らしが最高。66$プール付き。夕食ルームサービスチップドサーロインステーキとあったのはハンバーグのことだった。11$。チキン11$。チップなどルームサービス料金11%。雨上がりの夕陽がミシシッピに沈むのが部屋から見えて最高。そういえばここの絵はがきタダで出してくれるといってたけどついたかな?
8/12 ラマダインツペロ53$まできてしまった。これで3件目のラマダ。他に安いところがあってもなにか安心。レジデンスインデュランゴは110$。高かったね。ここは朝食や新聞付きは5$UP。夜はケンタのバイキングとサンドイッチバーガーで12$控えめに入れてきても腹一杯だった。ビールとワイン残り飲んでバタンキュウ。テレビは西部劇が良い。カントリーもいい曲が多い。ゴスペルもデュークエイセスよりうまいぞ。はじめてイチローとササキがでた。結構うれしいもんだ。12朝ナッチェスラマダでる。7:20発。14158マイル。61Nしばらく走ってナッチェストレスパークウェイ目立つ看板有り。入る。エメラルドマウント。アメリカで2番目に大きいネイティブの古墳。その上に上れる。8:15発。14173マイル。マウントローカスト、昔の宿場の跡。建物は家族の住まい。宿と調理場は離れたところにあったが昔火事で焼けた。ちょっと歩き方の解説とは違う。レンジャーの女性から聞いた話。まちがいない。14278マイル。8:25着開くのは8:30からなので裏からはいった。しばらくしてレンジャーがきて小屋をあけて解説してくれた。8:50発。 サンケントレースまでいって14205M9:15ウィンザールインすぎた。看板など何もなし。ポートギブソンの町に入ってもわからずスタンドで教えてもらってやっとわかる。ルインヘの道の入り口に小さな看板があるだけの1本道途中横道あるがずっとまっすぐ道なりに、約10マイルいくと左側に看板有り。大雨の中道路に50cmくらいのアルマジロの死体がころがっていた。帰りにビデオにいれた。10:16ウィンザールイン発14223マイル。10:32 14233マイルでポートギブソン入口着。wルインは歩き方に書いてあるとおりまるでギリシャ遺跡。危険は自分持ちのアメリカらしく簡単な木のかこいのみでいまにも建物が崩れそうで中に入るのはやめた。14250マイル10:50ロッキースプリング発。歩き方の写真はここだ。2600人の人口のあった町の廃墟。泉はない。虫が多い。教会がある。中に入れる。横には墓地。更を行く10分くらいの道でもどる。金庫と涸れ井戸あり。
パークウェイはジャクソンで中断。逆方向に行きやすい。地図注意。20Eにはいること。ジャクソンによらず220Nから55Nにはいるとパークウェイの看板有り。クラフトセンター。万華鏡70から100$。高いので買わず。14320M13:00先を急ぐ。14340M13:25サイプレススワンプはどこでも見てきた水没した森林風景。レイクチコではボートで中まで入った。このパークウェイの中でトドワラの風景があった。何の標識もなく残念。と書いていたら翌日か見かけたのでビデオに入れた。16rootとの交差点、14354M13:35 14383M14:05ハリケーンクリーク。下はスワンプ。14400Mフレンチキャンプ14:40着。何もなくただの馬の放牧場。道を出てガソリン入れに店による。7.7ガロン*1.23$。マルちゃんヌードル発見。1.19$*4。2個はお湯をもらいお酢を入れて食う。うまかった。生き返った。バンダナ4$。お湯代は受け取らず。 15:10発30分もここでゆっくりした。
パトカーに警告をうけビビル。20Mオーバーだった。14418M15:30オールドトレース14458M16:10から16:35ウィチダンスにて寝る。馬で入れと書いてあるのに馬はいない。ホーストレイルとあるがわからん。ツペロラマダイン18:00。
8/13朝8:50発。エルビスバースプレイス9:00開館。ミュージアムは○$。生まれた小屋○$。どちらも1桁だった。教会は寄付で建てたとのこと。無料エルビスの曲がかかっていた。14488M9:30発パークウェイにはいる前、南軍の激戦地跡をみる。南軍はコンフェデレイト分離戦争。北軍はシビルワー内戦。中央集権国家に反発する南軍びいきになった今回の旅だった。ツペロビジターセンターでビデオを見る。これから南下する人にはいい。買い物若干。南軍の音楽テープブラザースフォアのボブフリックによく似た歌声だ。と南軍の軍票。14500M10:40発トドワラらしきところ有り。14539M11:20ステイトパークよらず。
14564M11:55コルバートフェリー大きい橋。船着き場まで行った。水鳥逃げない。13:05オールドトレースドライブに入るそのままちょっと北上できる。水がめずらしくきれいな川があった。14651M14:05ジャクソン滝。絵はがきにもある。見るとそんなに大きくはないがほっとする。14671M14:25テネシーバレーデバイド。山道をすぎるとパークウェイ終わり。途中自転車に注意。道の真ん中平気で走っている。40Eへ14694M14:50 ナッシュビルへついたのは15時過ぎ65Nへはいってすぐ出てステートキャピタルを目標にSへ。ユニオンステーションで写。大きな店はオーぷりーミルドというお買い物タイム。オープリランドで音楽きくよりお買い物がいいのがおかみさん。ラマダインナッシュビルブリレイパークウェイにテル。地図割引で57$が49$に。2時間後くらいにいくといっておきながら、結局買い物タイムはおよそ17時から21時まで続いた。もっとも自分もクライミング3$などして楽しんでいた。ギブソンのギターは買えなかった。CDはfolkが少しあったのと、カントリー、など100$位。結構時間かかったね。夕飯はやっぱりケンタのコールスロー他でした。荷物整理して風呂して1:27寝て
8/14朝は3:30おき。
レンタカー満タンにして返却するのに早朝は金額を指定して入れてもらうそれで手間取って便所入ったりしていて6時発だから5時には空港で車を返却しなきゃ。とあせる。14736マイル 開始が12642マイルなので実に2094マイル =3350キロ走った。返却時間5:20。ユナイテッドまで走る。1人で行っても待ってもらわなければと、走る。カウンターで5:30何とか間に合った。シカゴ7:30着。荷物を持って広い空港内をうろうろ。C16まで行ってから荷物を預けたいと言ったら、受付に戻れと言われて長い道のりをまた戻って手続きをした。1人の時は機内持ち込みだけで荷物が済むのにかみさんが一緒だと荷物が増える。乗り換えの時の荷物の勉強した。結局待ち時間の3時間はそんなに待たずに時間合って良かった。8/14シカゴ発12:20(東京8/15朝3時)
8/15成田着15:30でした。成田で荷物は3個送り。小荷物だけで帰る。荷物送る時は一律ではありません。下に降りて駅の前ABCなんとか?で送る方が少しやすい。以上。   
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飛行機の中で見た映画   投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)12時16分12秒 
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飛行機の中で見たのは、チャーリーとチョコレート工場の続き アップサイドオブアンガー ブスとしか共演しないケビンコスナーのねぼけた元プロ野球選手の味が出ていた。怒りのままに逃げた?亭主のことをぼろくそに言う様がコメディー調でもある。母親の不細工さに比較して娘がみんな美人というのもなんだろう? インハーシューズ手癖尻癖の悪い妹と堅物姉の物語り。どうなることかの騒動の末の結末が結構泣かせる。 どちらも以外と見せる映画だった。それにしても英語題名そのままというのも芸がない。中味を語る邦題をつけられないのか映画会社は。
さてこの旅のハイライトは何かといえばやはりユングフラウヨッホですね。添乗員さんも割り込み平気な年寄り相手に大変だったろう。まあ遅刻したのがいないだけ内のかみさんよりもこの旅の高齢者の方がましか。セーヌ川の自由の女神、エッフェル塔と同じ画面に写る景色もパリならではだ。写真は能登半島から参加のTさんご夫妻、添乗員のYさん。   
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カルチェラタン  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)12時01分0秒 
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初めてのパリは半日だが中味は濃い。ノートルダム大聖堂に参拝後、セーヌ川クルーズで大体の川沿いの見所をなめる。同じ船に仏のTV局が取材していた。長身の久米宏をフランス風にしたレポーターが身振り手振りを交えてフランス語でしゃべっていた。そのあとカルチェラタンでエスカルゴ昼飯。「オルジョリモアドゥメアパリ。あの五月のパリに人は生きている」なんていう加藤登紀子の歌なんてフランス人も日本人も知っているのはほとんどいないか。。。フランス人に聞かせたかったが、メルシーしか言えなかった。三越の自由行動ではオペラ座に入場E7で、舞台は稽古中なので閉っていた豪華な待ち合いなどと衣装を見学。上の階怪人がいるという場所を忍び込もうとしたが監視員が黒人のごっついのがいてだめだった。地下鉄でオペラ座の前までいくつもりだったのが三越がそばでよかった。おかげでオペラ座の中まで入れた。
飛行機の座席成田発のときは座席変えを拒否されたが、パリでは探してくれた。マイレージは行きも帰りもそのつど手続きが必要だった。   
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ユングフラウヨッホ  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)11時59分46秒 
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19日はクライマックス、ユングフラウヨッホ。往復2万円くらいかかる高価な観光のようだが、途中のスキー場大きくて次回はぜひすべりたい。粉雪のキュキュという感触は最高。アイガー北壁をこのめでみた。今井さんが降りた駅。途中で北壁の窓から登山家の視点でみえる。上からみると途中のクレバスか大きくてあそこを歩くのはこわいな。アイスパレスは氷河の流れの中でいつまでそのままなのだろうか。帰りのアプト式登山電車の中でも美しいスイスアルプスとスキー場を眺めて満足満足。先ほどジュネーブのレマン湖をみた。まるで上野不忍池状態。湖畔にビルが迫っている。アルプスのふもとの湖とはかなり違っていた。
今はジュネーブ発パリ行きTGV車中。おにぎり弁当のご飯はじゃぽにかが当たり前。タイ米の不満を聞くのも耳障り。タイ米などという言い方はタイの米にたいしてだけでなく世界の米食民に失礼。日本以外は米は香り米といってインディカ米が主流であることを日本人はしらなすぎる。フォレストヒルムードン泊   
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ハイデルブルグ古城  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)11時53分37秒 
060117
フランクフルトNHホテルからはいでるぶるぐ ハイデルベルグ城年代がバロック他の建築様式が残っている。ハイデルベルグ大学地方出身者多い。グループで対立 学生自治牢屋まであった。学生牢1900初頭まで牢屋があった。授業は出れる。一軒家みたいな牢屋、落書き。
1ユーロショップで袋は10C。町の中に大学の建物が点在。日大駿河台と一緒だな。
のいぶるぐ原発20年後に廃止。古城ホテルを経営している。
ロマンチック街道ぞいの ろーでんぶるぐ で昼飯、休憩時間を有効利用、クリスマスビレッジ、犯罪博物館3.5ユーロ。15分でみて市役所前の仕掛け時計を見に戻る。カソリックの軍隊にプロテスタントの町の市長がワインを4リッター飲んだら町を救うという約束で飲み干した故事を見せている。3時間後フッセン到着、明日見る新白鳥城がライトアップできれいだ。ゾンネホテル泊。
060118
新白鳥城はコンクリでできた外形は、大阪城みたいなものか、という声も出ていた。でも中へ入って壁画や室内調度などベネチアの総督邸の美術館ほどではないが気品ある芸術が残されドイツの観光収入の太い柱を担っているのを見ると当時の悪政をしいた王が歴史的に見ると歴史遺産を残しているのも皮肉なことだ。
雪の中ふりさけみれば雪かすみ独新白鳥城のリンとした清らかさ しばらく見取れてしまった。途中オーストリアで立派なドライブインで休憩、カイザー皇帝のミルクコーヒー2.8ユーロを飲むとカップがもらえるというバスドライバーの教えでみんな並んで買った。なんて言うのか知らないのでsame1でもらった。
夜はホテルから歩いて10分くらいいったところで食事。同席の都内の老夫婦の奥さんがうるさい。ビールのグラスがちがうだの、頼まなかったのにビールがこない。などウェイトレスに追加を注文したのに添乗員にも追加を頼んだので、つい余計なお世話だが2つきちゃいますよ。と言ってしまった。外米はまづい。など、日本人の決まり文句もでる。当たり前なの。自分がふだん食っている物が一番うまいの。外米はいんでぃかまいといって、世界中で食ってる。タイ米だけじゃないの。日本人だけがじゃぽにかまいをうまいと感じるだけなの。なんて言ってもしようがないから早々に引き上げた。一人だと席を空いたところに行かなくてはならないのでやになる。
それでもこのツアーにきたのは手軽にeuを見れるからだ。明日はユングフラウヨッホ、 仏新幹線にのってパリというお手軽eu満喫。結構結構。ヴァイセスクロイツ泊   
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ヨングフラウヨッホへの道  投稿者:池田治夫  投稿日:2006年 1月22日(日)11時52分9秒 
びっくりヨーロッパ6日間ロマンチック街道スイスアルプスパリ(17万円一人部屋追加料金含む)にきている。060116
昼頃成田を出てフランクフルト直行便。で11時間余。全日空だから映画はある程度好きなのが見れる。ロードオブウォー、さゆり、は見てきたのでやってなかったがまあいい。ロードオブウォー良い映画だったのにあんまりヒットさせなかった。痛いところを描かれているからだろうな。常任理事国5カ国が世界の武器を輸出している姿が生々しく描かれていた。子供の兵士はローマでも17歳以下はいなかったのにアフリカの紛争では子供や女が打つ銃も威力は一緒だと多くの女、子供が生活のために戦争に従っている。武器密輸
の飛行機が道路に不時着させ、証拠隠滅のため周辺の部族住民に武器をただでもって行けというシーンは一夜にして飛行機そのものが消えて行く姿はミモノだった。
「さゆり」は着物姿がちょっと不自然という前評判だったがハリウッド風の着物の着付けとおもえばかえって新鮮だった。すそがしまっている着方よりもドレスのようなすそなら階段も昇りやすい。映画自体は渡辺健がおいしい役過ぎて役所こうじが気の毒だったな。以下から飛行機のなかの映画の鑑賞。
「蝉しぐれ」はNHK3chで講釈を聴いていたので見なくても想像がついていた。庄内の小藩の武士たちが東京弁で話す姿に違和感を覚えた。三宅裕次が新選組の映画で東北の藩の家老役で良い東北なまりの味を出していたのに比べ大減点。市川染五郎のせりふが聞き取りにくい。一部の場面でおやじ松本幸四郎の声そっくりに聞こえたが吹き替えか? 悪役加藤相変わらず良い味。木村佳乃を美人役に使う監督の美的感覚を疑う。
古い映画になるか、ケビンコスナーが脱獄人殺しで誘拐した人質の子供と不思議な信頼感関係をきずく「パーフェクトワールド」も不思議な世界だ。決して共感できない犯人に共感してしまう警察署長役に 。
「Mr.&Mrs スミス」予告編ではおもしろそうだったので映画館でも見ようかと思っていたが外れの映画。ブラッドピッドどジュリアロバーツは出演料だけで予算オーバーだったというメキシカンでこりたのかアクション物に出る女優を起用。この人も主役に使うには美しさに欠けるのではないか。夫婦げんかが命のやり取りでしまいには雇い主(多分CIAやなんかの秘密人殺しもやる組織)に殺されかけながら反撃というところで終わる。なんだか最近のハリウッドの行き詰まりを象徴する映画の種類。つまらん。
「チャーリーとチョコレート工場」子供に教訓のお話。   
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名曲みなみらんぼう「道程」新曲  投稿者:池田治夫  投稿日:2005年12月22日(木)10時31分45秒 
道程みちのり1930から
C      Dm     G7     C
この道をゆくだけ 地図とパンとピッケル
C         Dm   C   G7  C
さぎりふかき 岩の道を 歩き続けてここにきた
C     F            Dm        C
いくたびもまよった あるときは立ちつくし
C                 F        C      G7    C
途方に暮れ 絶望 でも友達がそばにいた


なきわらいかなしみ またよろこび 歩く

それでもなお たどりつかぬ それを人生と人は呼ぶ

ちぎれ雲のドラマよ 碧き空をさすらって

満天の星月夜 いきているのがわかるだろう

C               Dm    G7          C
道のりは はるかに神の峰につづいてる
C           F     C       G7      C
旅立ちの時は今 青春はまだおわらない

際の道を
今日も日暮れ 絶望
満点の星
これが池田の聞き違い部分   
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長野ゼロ予算事業  投稿者:池田治夫  投稿日:2005年12月19日(月)09時12分39秒 
[70]  やんばダム現場視察 - 発言者:池田治夫  2005年11月8日(火) 20:23    返信
八ツ場ダム工事箇所 写真参照

ここは岩盤がもろくて建設省が認めなかった場所。それがいつのまにかここに戻ってしまった。吾妻渓谷を守るためにといってももろい岩盤に造られたダムの危険は現実に経験がある。結局ダムを作って水を入れられない大滝ダムの経験を忘れるな。


[69]  大滝ダムの亀裂 - 発言者:国交省HPから  2005年11月8日(火) 20:19    返信
大滝ダム白屋地区地すべり対策工概略設計について


白屋地区地すべり対策の概要
白屋地区は大滝ダム上流右岸4.6km付近に位置し、平成15年3月から実施した大滝ダムの試験湛水中に地すべりが発生しました。そのため、試験湛水を中止し貯水位を低下させ、現在のところは、地すべり現象は沈静化・安定した状態にありますが、現状のまま貯水池(ダム)の運用を行えば再び滑動し、大滝ダムの運用に支障が生じることが予想されるため、地すべり対策を行うものです。
本対策は、大滝ダム建設事業の一環としてダムの機能を発揮させるために必要不可欠なものであり早期の完了が望まれています。
なお、本件事象については、「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会(以下「委員会」という。)」において地すべり機構の解明と対策工の検討が行われ、平成15年12月には対策工の基本検討の結果が示されているところです。

この地すべりの概要及び委員会資料については、紀の川ダム統合管理事務所ホームページ
URL: http://www.kkr.mlit.go.jp/kinokawa/ を参照してください。


業務概要
白屋地区地すべり対策工については委員会で行われた基本検討の結果が示されているところではありますが、より一層のコスト縮減、工期短縮、を図るためには、幅広く技術提案を募り広範な技術情報を基に検討を行うことが必要であると考えています。
このため、これまでに行った各種の調査結果、観測記録、委員会資料等をもとに、委員会の基本検討結果から更なるコスト縮減、工期短縮を図ることができる対策工の提案を行い、特定された提案についての概略設計業務を行うものです。
なお提出された技術提案については、実現性等の審査を行った後、優位な提案が複数あった場合には、それぞれについて概略設計を行う予定です。


業務内容
貯水池地すべり対策工概略設計業務
工期:契約の翌日から90日間
履行場所:奈良県吉野郡川上村白屋地先
業務量の目安:2千万円程度を想定しているが、現地調査、試験の追加実施等により業務量の大幅な増額が必要となるものについてはこの限りではない。


[68]  さかい新事業創造センター - 発言者:池田治夫  2005年10月30日(日) 21:12    返信
研究会と視察で全面的にお世話になった堺市が自信をもって紹介してくれたセンターを悪く言いにくい。しかし本音の批判を。資本金17億4000万円を堺市、中小企業整備機構地域公団、堺商工会議所の共同出資で株式会社にしている。毎年委託料で8000万円を市が支払って、3期目で黒字400万円でた。と言っていたが実質7600万円の赤字ということ。データセンターのサーバーは立派な物らしい。ハードの陳腐化リスクは。と聞いたがメーカー持ちと言っていたがそれだけ高いリース料を支払うということ。極めつけは、写真にものせたが、延べ床面積4186m2の建設費よくよく調べたら8億円とどう見ても相場の軽く倍はかかっている。
坪単価63万円 重量鉄骨造り坪単価29万円設備費込みの広告もでる中で坪30万円するかしないかの建物。ここでも税金の垂れ流しか。堺市からの委託料なしで経営するべき施設のはずだ。これでは株式会社とはいえない。それでも堺市さんには大変お世話になりました。御礼申し上げます。


[67]  堺の間違い - 発言者:池田治夫  2005年10月30日(日) 20:59    返信
地方自治経営学会が堺市政令指定都市発足を記念して堺市で行われた。市川市のコンビニでの住民票などのやりとり。三鷹市の人事評価制度など近場での先進的事例を自費視察で改革派市議のみなさんと行っている。その事例も市川市は税金の使い道を市民に投票してもらうという方法。先進の人事評価を鳥取県が行い3年越しで勤務評価が最低の職員5人中3人を自主退職させたことが大きく取り上げられた。12月にも9月の質問に続けて市議会で質問したい内容だったので参考になった。以下現場での走り書きのまま。


[66]  境 地方自治経営学会 研究会と視察 - 発言者:池田治夫自費参加夜行バス  2005年10月28日(金) 13:21    返信
地方自治経営学会 市川市 少年野球自分たちで井戸をほって散水施設をつくる 1/2の補助 60万 お金の効果を説明しなければならない 団体としてきちんとやっていく姿勢がかわってくる。
外の補助金を全廃したのか (縮小はあるが残っている つけるべきところには つける)
大きな団体に投票が多いと思うが 目立たない団体に影響しないか (効果として 目立たない団体もある それを広報するので ケーブルtvなど 機会が増えた 説明会でこれじゃ勝ち目がないといってきた団体もある 逆に地域に根をはっていくため 勝ち負けではない 市民の信頼をうけていく)

(裁量権で2ー3%とはなっていない 審査会の結果
年度末 領収書も公開)

pr経費260万 広報紙500万 高齢者など地縁自治体の補助金のバランスは? 自治会補助金を削減して不特定多数の公益につながる事業は自治会が提案してもOK

50分 市長の決断 ハンガリーの%法 から
庁内トップダウン 補助の効果結果を見て。

長野県ゼロ予算事業
4000おくから1200おくに減少
安曇野で133おくから30おく
委員会採択 黒沢川脱ダムなのにと本会議で不採択
になったのでゼロ予算事業になった
話題性があった 採石 木材チップ チップと採石をたたく作業を住民にお願いしている
カヌーのメッカ カヌーにどうつなげるかの問題意識
作業に参加することが目的か 官と民というがカウンターパートナーをつくる努力がこれからの課題
始め1回目は182名参加 知事の側近 2回目37名
一般参加57から11減った 25円 3回目一般参加18名 県から10名 地元25名 よろずいがわをどうするのか  ボランティア育っていない
来年は茅野市安曇野も近い せせらぎの小道
舗装で3000万円予算が否決 10万円 職員の人件費

一財の住民税を特定財源にするのに問題視されなかったか
住民にお金をくばるのがいいのか 住民がたちあがってきたら お金を配るのは古いんじゃないか
(議員からあった。納めた税の使い道に声をあげる 目的税ではない)実質目的税だ 神野教授からも税の不公平感と批判 住民をバックアップする 3000万円を市民がきめている。今までの行政の配り方。市民が制度を支えて行く。新しい。

市町村にも声をかけるが県で 3市町村がだしずらかったかもしれないが 地元の自治会にも声をかけていく

税の改廃 役所だけがやってきたことに新しい可能性だ。坂田先生は古いんじゃないか。
地元で住民を巻き込んで自治能力のある住民と協力して普遍化してほしい。

納税は高まったか 収納率はあがった 検証はまだ スパンをみたい  はじまったばかり

勤務評定の位置付け 鳥取県
全職員が対象になる
h15年 職員組合と話し合い
評定4原則 公正性 評定者の研修毎年開催
自己評定 を行うのが
透明性の確保 ヒ評定者への開示 説明責任 評定者の複数設置 係長 課長 上司の評定もする 納得姓 確保 10/1評定 2回面談 評定結果の開示 根拠説明 人材育成の場に
不服な人の苦情相談窓口 組合とは わたり廃止 交渉大事なこと 公務員バッシング 県民に納得姓のある給与体系になっていない。話し合い密室 それが制度かで不信感の現れになっている すべてオープン 現場は非公開だが内容はすべて公開 適当なところで手をうつことはできない 勤務評定もそういうばで
面談とう 評定結果の活用 鳥取県の場合
給与の反映 定昇ストップ 勤務成績に応じて 傾斜配分
3点目 悪い職員を 訓練教育プログラム 5段階 最低は1年間再訓練 1年の教育プログラム 再評価で16年度の再評価で最低に人に退職をショウヨウした。

池田の質問
三鷹市の人事評価制度を視察してきた 先進的だったがさすがに建設工事の単価表まで公開している鳥取県の制度には少し及ばない。課長以上の希望降格制度はあったとおもうが上司の逆評価はなかった。東久留米では組合が強く、組合の言いなりの議員が社民共産だけでなく民主、自民の一部までいる。(鳥取県議会では給与も見直し決議も出ていて表立って組合交渉に反対する県議は一人もいない)職員課長も総務部長も組合の顔色を伺うようでは人事評価職員の綱紀粛正もままならないが、組合との交渉について非公開情報は一つもないのか。賃金交渉も公開か。(すべて公開している。行政執行部は交渉経過の全面公開を求めているが、組合の合意が得られないので次善対応としてhpで全面公開している)

住民参加 市町村が行うのは市町村の仕事ではないか
市町村が


[65]  もう一つの信州モデル。ゼロ予算事業視察報告 - 発言者:忘れていた報告  2005年10月7日(金) 13:22    返信
市議会に報告を出してくれと馬場委員長に頼まれて送った中にこれを入れ忘れたので再度追加で送信。

もう一つの信州モデル。ゼロ予算事業視察報告

7/19 コンシェルジュの出迎えを受けて市長室前の田中知事の立て看板前で写真を取ってから。会議室へ。

穂高町万水(よろずい)川の堤防道路W3mの舗道整備。田中県政の目玉として県議会に説明。
そのためか県議会はその部分を否決。そこからゼロ予算事業が始まった。
安曇野わさび街道に並んで流れる万水川。そこの工事の様子は職員の働きでほとんど
やっているように見えますね。ときいた。やはり専門的な工事は職員が行っている。
市民の協力は固めた堤防の上にチップを敷き詰める作業を進めている。
人件費こそが最大の事業費との発想からはじまった。
職員自ら汗をかき、知恵を出して進めていくゼロ予算事業。予算が無ければ事業ができないという固定観念を捨て、職員一人一人が、県民の求めるサービスのために、意欲をもって力を尽くしています。であり3年目になる今年は200近い事業が各地から考案され名乗りを上げている。東久留米でもゼロ予算事業に対する職員の意識も理事者側の認識も強まってきている。金が付くことが事業の目的という今までの市政運営のやり方に根本的転換が求められ改革へ進まざるをえない状況になってきている。

ゼロ予算事業のコストはどうなのかと池田は長野県の担当者にきいた。職員が時間外労働で民間委託よりも高く付いている場合もあるかもしれない。金額面の詳細は調べていない。とのこと。
池田は知事にきびしい議会がゼロ予算事業のコストを確認してこないのかときいた。ないとのこと。

入札改革への長野方式の変更。予定価格の事前公表を廃止したことはおかしい。と池田はクレーム。
普通は視察先へ失礼な質問はしないのが礼儀らしいが、池田にはそういう心遣いができないもので率直に言ってしまう。予定価格の事前公表の廃止をすると今までの業者と役人のおいしい関係(情報漏洩にまつわる汚職)が復活するじゃないですか。ときいた。さすがに役人が悪事を働くという前提に立っていない社会通念のなかで、長野県職員のみなさまにはムッとしたようですが田中信州知事の改革に希望をみいだして、東久留米市議会でも長野改革を東久留米にという質問を続けてきた池田のひいきの引き倒し、勇み足とお許しください。


[64]  長野県庁経営戦略局 - 発言者:池田治夫  2005年10月6日(木) 20:33    返信
19、20の建設委員会視察は久しぶりに中身の濃い視察だった。
長野県で予定価格の事前公表を止めたと聞いて、池田は長野県の
担当の方にそれじゃ昔ながらの業者と役人のおいしい関係が復活
するじゃないですか。と聞いたらさすがに相手もムッとしていました。
県でも積算能力がないんだって。ならば当然、東久留米市の建設課に
あるわけない。ということだ。池田の入札改革論は市議会の討論で
ご覧ください。日本で一番進んでいると自称する改革論です。
東久留米の議会事務局は昔、池田が視察先に失礼なことを言わない
ように釘をさしていましたが、今の担当者はもう慣れたとのこと。
結構、結構。きょうは東久留米市に下田市議会のかたが行政評価のこと?
で視察に見えていました。東久留米市の改革が他市にも評価され始めています。


[63]  長野栄村視察報告 - 発言者:池田治夫  2005年7月22日(金) 21:34    返信
栄村の視察
補助金なしの道路建設が視察内容である、栄村HPで「栄村将来像モデル」を見ていたのでさらに問題意識は深まっていた。平成20年度を目標年次として「受益と負担の原則にたって、できる限り自主財源の確保に努める」とある。
地方交付税の割り増し交付が人口一万人の町村まででうち切る国の合併促進策に対抗する栄村の合併よりも将来像を検討するという姿勢は前向きである。

公共料金は軒並み上げているが、全国自治体が引き上げを決定した中で栄村が介護保険料を月200円の値下げをしたアナウンス効果は絶大である。

議院定数策削減16を12名に。報酬を3割削減。これは村長以下の特別職も同じ。
職員は92名を85名に。職員報酬を15%削減。

村営スキー場は補助金3500万円をゼロへ。
村営宿泊施設はすでに自立し、一般会計からの繰り入れはなし。理事長報酬もゼロ。

すなわちやるべき事はほとんど行っているということではないだろうか。
改革とは身を削る作業を行わなければ切実さはうまれない。納税者への負担の転換を行ってきたのがいままでのほとんどの行政側の行ってきたことだ。
納税者が払ったあとの税金の使われ方は少しでも自分に帰ってくるバラマキ施策を求めてきた以上、放漫財政は市民共通の原罪とも言える。

栄村の自立への苦闘は東久留米市でも十分に学ぶべき内容と考える。

補助金なしの道路建設は補助金の基準が過大な公共工事を強要するものであり、補助金を受け取っても過大な工事にしなければならないため2倍以上の無駄な支出を必要とするため村独自の工事をすることにしたという。時間の関係で実際の現場を見ることができなかったのが残念ですが宿泊施設の現状は実際宿泊したので有る程度見えました。宿泊施設の行革には不断の努力が必要と感じました。


[62]  スポチャン - 発言者:いけだ  2005年6月3日(金) 14:47    返信
その日はわんぱく相撲の日にかさなった。本物のお相撲さんも来て子供に相手をしていた。池田もプロがどのくらいかやってみたかったが、相手が手を抜いても殺されそうなので止めた。スポチャンは4月から2ヶ月ぶり。たまーにしかやらないから弱かった人に若くて体力があるから4本のうち3本負けた。でもこれが面白いんだな。


[61]  海外移住について - 発言者:ikeda ハルオ  2005年5月6日(金) 14:13    返信
以前は、日本の物価に比べ海外でもアメリカやオーストラリアの物価でも安かった。しかしながら最近の日本の規制緩和、デフレ状況を見ると100円ショップの製品で暮らせる池田にしてみると以外と日本も住みやすくなってきた。ブルガリアと言われても生活するイメージがわかないし、南アフリカの気候は良いけど、物価はそんなに魅力的じゃないし、日本での安くてうまい回転寿司なんかはどこの国へ行っても見たことない。やっぱり日本で骨を埋めるしかないな。日本はやっぱり世界で一番住みやすい。海外で頑張っている皆さんには大いに頑張って欲しいが。。   
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南アフリカ  投稿者:池田治夫  投稿日:2005年12月19日(月)09時11分10秒 
[60]  ハタリ! - 発言者:ハタリイケダ  2005年4月28日(木) 10:17    返信
アフリカの続き。必見の名作。
子象のワルツだったかヒットした映画音楽も印象的です。
ハタリ! と言う映画をご存知の方は少ないと思います。1962年日本公開ですから。子供のころ父に連れて行って貰った、ジョンウェインの猛獣狩りの名作です。
図書館ぐらいしかないと思いますが、サファリというとあのイメージでしたのでユニバーサルスタジオの遠見の見物のようなゲームには物足りなさを感じてしまう池田です。



[59]  喜捨について - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 05:52    返信
低開発国に行くと必ず乞食が寄ってくる。日本人には乞食は嫌われている。イスラム諸国では貧しい者が豊かな者から助けを受けるのは当たり前。相互扶助の世界とでも言うのだろうか。池田も大金を持っているわけではないが、低開発国の乞食に比べると金持ちになる。当然、自分が出会った乞食に小銭を与えることはその機会を与えられたことに感謝している。それこそ一期一会であるのだから。インドではワーと寄ってこられたが、かつてサンディエゴからメキシコのティワナに入ったときに道であった乞食、1$くらいの小銭を膝を屈して受け取る姿に気品すら感じさせた。先日のケープタウンのwaterfrontでの薄暗い時間にボロをまとった黒人の男がぬっと前に手を出されたときは他にも2-3人いたので少しひるんだがポケットに5ランドコインがあったのであげた。ごろつきのような容貌の黒人だったが、とても丁寧にお礼を言ってくれた。当たり前と礼も言わないイスラムも結構だが、丁寧にお礼を言える乞食はこちらの自己満足を充足させてくれる。感謝。 (ザウルスに入れていた記録はまだ転送していないのでこれから続く)


[58]  アフリカ3-4日目 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:07    返信
20050421PRETRIA UNIONBILL 開拓者の碑。レリーフは興味深いし、見晴らしも良い。地下の展示物も面白い。しかし原住民を極端に凶暴で謀略に満ちた存在に描いているのはアメリカの西部開拓と同じ。幌馬車が牛に引かせていたのが違いという。ZIMBABWEの公務員が荷物から電子辞書を抜き取ったと思ったのは池田の勘違い。申し訳ない。ISRAMABARDだったかPAKISTERNの公務員に昔、賄賂を請求されたこと、VICTRIA FALLSの公務員がD-SNAPをくれというようになかなか返してくれなかったこと、入れておいたPOKETが閉め忘れていたため預け荷物に移していたことそのものを忘れていた。添乗員さんにはご心配をおかけした。
TABLE MT.ロープウェイにのる。床が回転する景色が公平に見える。頂上はごつごつの岩場を歩く。喜望峰を遠望し、しばらくみとれた。時間を使って回れず。りすのような小動物、池田が座っているとデジカメをなめにきた。かじられないように指は出さなかったが、人が集まってきたので離れてしまった。WATER FRONT.WINE15R 19R 19R スーパーで買った。自由時間、始まって先に重いものを買ってしまったので行動できずに無駄に時間を過ごしてしまった。夕食のイタリア料理店はクリントンもプーチンも行ったという店。それなりにおいしかった。夕食後SOUTHRN CROSSを見あげる。VICTRIAFALLSのRAINBOW HOTELで見あげた南十字星のほうがはるかにきれいだった。ブラジルではさらに満天の星空だったが。最後の2泊はカジノのホテル。GRAND WEST LOGE 各部屋はバスタブとシャワーが別。新しい良いホテルだった。連泊の時ベッドのシーツがまた巻き込まれていることが大嫌いな池田は必ずPLEASE DONT TOUCH MY BED.I DONT NEED TOWEL CHANGE.と書き置きして1$置いておくのだが、ここのホテルはTOWEL CHANGED.BED WAS MADE.字読めなかったのかな。帰ってカジノへ。スロットマシンはいつものように金をすいとるだけ。ブラックジャックのやりかたを教えてもらおうと200R負けた。そのあと少し取り返したと1O$返してくれた。KUさんGAMBLEに余り熱くならないように。池田のGAMBLEはバブルの後の金の取引。随分老後の蓄えを持っていかれた。現物から先物に切り替えさせられたのが大間違い。エース交易という詐欺商法同然の会社にしてやられた。損切りを速めに決断するべきだった。


[57]  アフリカ2-3日目 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:06    返信
20050420朝MOSIOATUNYAにいく途中のMOANAとかいったBOZUWANAのCHOBE NATIONALPARKにあるMOANAHOTELの中庭にも大きなMOANA,BAOBABU TREEがあった。それよりも大きい。BIG TREEと呼ばれている。そこで売り子昨日買った同じタイプのBIG5彫刻と象一つの彫刻2つを売りにきた。値段は20US$象は10US$.この売り子はやすくしない。珍しい。誰も買わない。VICTRI FALLS,MOSIOATUNYAの入場料が地球の歩き方南ア98ー99年版にはZIMBABE$100とかいてある。今は30US$.このツアーは食事も入場料も含まれている。その時代は知らないがは外国人はZIMBABE$もてない。だか両替していない。インフレが激しいらしい。エイズは人口の6人に一人らしい。これは南アの現地ガイドの田部井さんの話。BOTUWANAは4人に一人。南アは9人に一人。エイズのおかげで食糧危機が少しさきのばしされたとも、凄い話もしていた。20050421のPRETORIA市内観光は彼が担当。
話し戻ってMOSIOATUNYAの見所続き。はじめは雨具など全く不要だったが、段々と右側に進むにつれてFALLS SPRAYが激しくなる。段々と興奮してくる。カメラを今度は駄目にしないように。カバーして写す。DANGAROUS POINTでは興奮も最高。参加者同士で写真を撮りあうなどできる余裕も無い。滝壺にすべり落ちる危険な岩場。何人が死んだりするのだろうか。岩には苔も生えている。左を見ると虹。水中カメラの一台目は終了。そのあとZAMBIA BORDER BURIDGEを見てBANJY JAMP誰もやっていないのを見届けて帰り道。滝の見物側からBANJY JAMPの所には直接行けない。実はやるつもりで100US$TCを用意していたのに。。。帰り道は来るときよりも近道のはずなのに結構遠い。先を行った人達がなかなかつかまらない。道を間違えたのかとも思いながらどんどん進んだら道の真ん中に猿がいる。2ー3匹だったのが先を行くと群れでいる参加者が2人停まっている。猿を見ているのかと思ったが私も恐る恐る通り抜けると猿もどいてくれる。日本人は餌をもらおうと人間に襲い掛かる猿を見ているから団体でも怖がってしまう。池田がバスに戻っても後に続いていたはずの10人ぐらいが随分と遅くなったのは猿を恐れてのことだったようだ。あわててホテルに戻る。初日に行けなかった人達が10:00から11:00ぎりぎりにもどってきた。出発15分前にホテルの外に出ると運よく物売りがきた。昨日のマーケットで買ったょりも良いものを安く買えた。JOHANESBURGのダイヤモンド販売では暇だったのでガイドの田部井さんと色々話をしていた。奥さんは現地人。子供は日本語を話せない。日本に帰るつもりはない。PURETRIAの南郊外に住み、年金の資格はないこと。選挙権もない。んー。


[56]  アフリカ初日 - 発言者:池田治夫  2005年4月27日(水) 00:05    返信
20050417成田発5時間で香港マチ2時間 から13。5時間でジョハネスバーグヘ
2005041718
およそ1万円を500ランドジョハから1時間でビクトリアフォールスのジンバブエの入国審査に25人1時間かけるジンバブエ時間のすごさ。驚嘆。日本の公務員もびっくり。ヘリでの滝観光結局16人もの希望者がでたのであさってもやることになった。ヘリ95$15分からの俯瞰は私にはイグアスよりも感動するくらい。峡谷の深さが美しかった。 ジョハネスバーゲでVITORIAFALLSに乗り換えで待っていたとき、SMOKIGROOMにいくと店員がいて注文取りをする。成田などどこでも喫煙は狭い牢獄に閉じ込められて吸うのでホテルのロビー風で大満足。ビールは10時かだというのでカプチーノを頼んだ。14ランド約280円。頼みもしないケーキをつけてくる。まるで無料で付いてくるかのように。実は15ランド。水を持ってきたのを下げたので持ってきてと頼むと今度はボトルで持ってきた。14ランド。変な押し売りしなければTIPあげても良かったが、頭きてやらなかった。外の人はわからなかったので29ランドに米ドルで10$払ったといっていた。800円くらいがTIPにされたということ。すごいね。ちょっとした暴力バーだ。そのあと若くてかわいい添乗員の飯沼さんとお茶を飲んだ。添乗員は何といっても気立ての善い若い美人に限るね。スペインの時も若い美人系だったけど結構いいかげんなこと言っていたのと性格悪そうなので話もしなかったな。20050419ヘリコプターは添乗員とガイドに頼んで時間の隙間をつくってもらったけど明日の乗馬は朝8:30ということで無理だった。ま。コロラドでは25ドル1時間がここでは2時間50$とのこと。19日のCHOBE国立公園のJEEPSAFARI&BOATSAFARIどちらもよかった。河馬と象バッファローは迫力あった。昼食のバイキングもMOANAHOTELでのバイキング。いっぱいみかけたIMPALAもおいしく食べた。バッファローとCOWの違いはかなり実物を見て分かった。しかし混血の家畜、牧場の牛も多いようで角がバッファロー風の牛が多く着いた時にガイドが牛だというのをバッファーじゃないかと思っていた。JHONWAINのHATARIを思い出すがハンティングが大変だった5種類をBIG5といっている。象を頂点にライオン、豹、バッファロー、犀。土産物をVICTUIAFALLSに戻ってからバラックの市場で買い物をした。みんなはじめは恐る恐る入っていったが、45分を過ぎてもなかなか戻ってこないくらい色々買っていた。欲しくなったら負けさせるが難しい。尤も、彫刻物も2ドルというのを結局7個5ドルにさせたのが最後に6ドルにされてどうもポケットに入れた1ドルも抜かれたみたい。袋に入れると見せて一個抜き出すのもベトナムでTSHIERTSを買うときに抜かれた経験でマジシャンのような手の動きに気が付いて取り返したのが、ま楽しい買い物といったところ。ばれたと大笑いしていた売り子たちはポケットからも1ドル盗む技術くらいはありそうだ。でも今、見直してなかなか立派なものだ。時間間際にBIG5の置物250ランド5000円という売り子のやつはなかなか良いもので気に入った時点でもう負けていたが、140まできたので100ランドなら良いと買った。でもポケットの10米$を見て100ランド&10$とか5$とかいう。でも100ランドを離さないので品物を持ってきたが根気に負けて5$追加で取られる人もいるだろう。添乗員は値段は高く買った人が落ち込むから言わないでといっていたが、池田は自分の甘さを知るためにも大いに金額を言い合うほうが良いと思う。そもそもホテルの金額の目安も書けないガイドブックなんて中身が良い加減。ガイドブックの信用度は金額がどこまで書かれているかだ。池田の旅行記も金額を抜きでは何の参考にもならないとおもいできるだけ細かく記録しているつもりだ。夕食はグラスワイン肉を食うときは赤と決めてみんな赤を頼むと池田は白にする5$。BEER4$.激しい躍りの横で木彫り売っていた。土産用にかいたせばよかった。躍りに圧倒された。夕食は楽しみにしていた虫などの下手物はなかった。OSTRICHといぼいのししFORESTHOG.結構いける。丸焼きはRAM.パリパリしてうまい。アフリカはおもしろい。
ここレインボーホテルはホテルの部屋番号と部屋の電話番号が違うという珍しいホテル。おかげで添乗員の部屋電話番号と池田の番号が違うため間違い電話が作朝5時と夕方と続いたので分かった。
20050420は7:45-10:00VICTRIAFALLS DANGEARAS POINTは最高に興奮した。世界最高の滝だ。来て良かった。始めはRIVINGSTONEの銅像にいき滝の右側から見る。あまり良くない。次ぎ70段ほど階段を降りる。水煙しか見えない。このままつづくの?でもないらしい。段々、滝の左側方向へ見る場所を移動していく。同行のツアーの人達と写真を取り合いながら余裕をもって滝のすごさを実感していく。RIVINGSTONEが何泊かしたという滝の真上の島それなりの大きさがあるがでもあの滝MOSIOATUNYAの高さ108M水量5億トン毎分。別紙に名ツアコンの飯沼さんの日記にも掲載。


[55]  54歳引退論を見て - 発言者:池田治夫55歳  2005年4月27日(水) 00:02    返信
20050420いよいよVITORIAFALLSの足元に近付く日。MOCI OR TUNYA というのがLivingSTONEが現地に行くまでの現地名。今日は2時半に起きてちくま新書54歳引退論を読み終えた。戦前の三井物産から戦後財閥解体後のニットレで取締役貿易部長で引退後池田の会社を手伝ってくれている時68歳で直腸癌再発で死んだ父親を偲ばせる内容だった。著者布施克彦さんもナイジェリアなどの途上国勤務が多い人で、とくに133Pの「戦後まだ信用を得ていなかった日本製品を担いで、世界市場を開拓した私達の先輩ビジネスマン達。日本にもかつては、異文化に揉まれ、異文化と堂々と渡り合った逞しい人達がいた。」のくだりは父親を思い出してなぜか文字が滲んでしまった。戦後はプリンス自動車や東芝の製品を世界に販売拠点を求めて出掛けていった父親の思い出が蘇る。遺されたアルバムにも中近東のプリンスの代理店開拓は父親の活動が見える。そういえば今でも入国ができないサウジアラビアにも行っていた。UEAやイタリアに行ったのも死海やマルタ島にも寄った父の思い出をたどっているのかも知れない。多分父はVITORIAFALLSにはきていないだろう。
54歳引退論にもどる。後書きにある「静かなる革命の書」はほめすぎだろう。思いは共通するところ多いが、P212の「54歳転換は早過ぎない。青臭い世直し革命気分はすでに消えている。遅すぎない。憂国的たわごとを撒き散らす老害はまだない」にはすこしうまくまとめ過ぎだと言いたい。池田は55歳になってもいつまでも青臭い革命気分のままだ。老害云々はむしろやらない理由や先送りの口実を捜し出すのがうまい老害こそ池田は弾劾する。あ、池田が老害?


[54]  写真整理 - 発言者:池田治夫  2005年4月26日(火) 00:53    返信
結構、写真整理も力仕事。PCで削除、向き変え、やっているだけで手の当たる部分が痛くなってきた。少し掲載するよりも別のHPを作ってしまおうか。


[53]  南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナ20050417-24 - 発言者:池田治夫  2005年4月25日(月) 00:08    返信
最大の滝モシオアツンヤVictriaFallsは水量が多くて現地訪問証明写真のようには見えなかった。危険な場所はコケと滝の水か台風のように吹き付ける場所。でも足を滑らせて死ぬ人は年に1人というのも以外だった。アフリカに24人ものツアーが組まれるとは思わなかった。それでも迷惑をかける人もなくスムーズに終了しただけでなく。臨機応変にヘリコプター遊覧のオプションを許可してもらえたこと。時間が出来たからと喜望峰の帰りにダチョウFarmによてくれたり添乗員の飯沼さんの能力のおかげで良い旅ができました。詳細と写真は後日アップします。


[52]  べた雪の翌日はまた吹雪き - 発言者:ikeda  2005年3月27日(日) 09:51    返信
委員会のあとまた日帰りのつもりでスキーにいった。大雨のあとのべた雪のため途中で何回も転ぶ。ワックス固形ではべた雪はだめだな。全天候型ワックスで翌日も挑戦。今度は吹雪。朝には車に30cmは積もった。圧雪車もスキー場全部をカバーしていない。昨日は普通に越えた段差が50cmくらいの新雪で板が下にもぐって見えなくなった。すっかり風邪をひいてしまい、2日間寝込んだ。今、あわてて明日の討論を書いている。


[51]  ひーちゃんのスキーデビュー失敗 - 発言者:ikedaharuo  2005年3月13日(日) 11:55    返信
あいにくデビューには厳しい寒さ。他の子供たちはスキーしていたりソリで遊んでいたが、初めてのスキー場で梅干しをかじったような顔のひーちゃん。「ちゃむい」「目がちゃむい」外に出るのも「いや。いかない」帰り間際に少しソリで遊んだが、その後はさらに吹雪の状況。チェーンが必要な車には雪の中で取り付け。雪が無くなった泥の路上での取り外しと結構帰るのに時間をかけてしまった。ややっぱりこの時期には4輪駆動で行くべきだな。   
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富田さんもおもしろいといったイタリア  投稿者:池田治夫  投稿日:2005年12月19日(月)09時09分59秒 
[50]  ローマ教会の腐敗の一部とは20050202 - 発言者:ロンリープラネットイタリアから  2005年2月2日(水) 13:34    返信
ローマ教会の腐敗の一部とは20050202
教皇のアビニョン補囚:(以下P30ロンリープラネット、イタリアから)イタリアの諸都市の政府も、政府内に学者を擁することが威信を高めると言う考えを持つようになった。Venezia Firenze Milanoやその他の小都市は、しばしばローマ教皇を嘲弄し、教皇が異端者とみなした学者をかくまった。教会はそれまでの知識の唯一の裁定者を自ら任じ、それは聖職者の間に腐敗を著しく助長させることになったが新しい学問はそうした教会の役割を脅かす物だった。しかし教皇の地位を脅かしたのはそれだけではなかった。教皇が13世紀に派遣した十字軍はムスリム討伐が目的だったが、14世紀に入るとその矛盾はヨーロッパの国王たちに向けられた。
教皇ボニファティウス8世(位1294-1303)はイタリア名門の出身で、自分の家族の富と権力の維持のみに腐心した。1302年の「教皇大勅書」で、世俗的、精神的両面の教皇の至上権を主張した。国王たちはこれを歓迎するはずもなく、1305年フランス出身の教皇クレメンス5世が教皇に選出されるとフランス王フィリップ4世は、教皇庁を南仏のアビニョンに移した。(以下、概説)アビニョン捕囚という。
この捕囚が終わるのまでしばらくの間アビニョンとローマバチカンの二人の教皇が存在した。(まるで日本の南北朝時代のようでもある。)教会大分裂。
15世紀に教会大分裂が終わり、教皇はローマの変革に着手した。16世紀はじめ教皇ユリウス2世は主要道路を開通させ、木製だったサンピエトロ大聖堂を再建した。1512年にはミケランジェロが、システィーナ礼拝堂の丸天井にフレスコ画。ルネッサンスによってイタリア人は、初期のような教皇による支配をもはや受け入れなくなっていた。人文主義者のロレンツォ・ヴァッラはその有名な論文のなかで、「コンスタンティヌスの寄進状」が偽造されたものであることを暴露した。(これをネタに神聖ローマ帝国の創設者であるピピンにも寄進状を書かせてバチカンの所領を確保したのはローマ教会である)
ナポレオンは1796年イタリアに侵攻。一方的にイタリアのディクタトール(独裁執政官)を宣言すると、国家主義運動が活発になった。ルソーの考えに触発されたフランス左翼ジャコバン派の運動は、イタリアで多くの支持者を得ることになる。ジャコバン派の運動はローマに共和国を樹立し、イタリアが一つの国であり、その主権は人民にあるという議論を呼び覚ました。しかしこの運動の成果がすぐにナポリなどの極貧者などに、期待できる物ではなかった。農民で構成された軍隊がローマを侵略し、ジャコバン派の活動家の死体が道路に散乱した。ナポレオンは1799年自らイタリア国「統領」を名乗った。ここにはじめて「イタリア」という国が誕生した。(コルシカ生まれのナポレオンがイタリアを作った。ならばイタリア人はナポレオンに好意を持っているのではないかと思いあるイタリア人に聞いたが、ナポレオンはフランス人であり、フランスがスキでないと言う、その人の個人的嗜好か国民的傾向かは分からないが) 1804年フランス皇帝にナポレオンがなるとイタリア王国、国王も兼任した。ナポレオンはパリで戴冠するために教皇ピウス7世を召喚したが(カトリック教会の権力を大幅に縮小した)フランス革命の黒幕に協力したくなかったピウス7世は、なかなか腰を上げなかった。ナポレオンと、離婚歴のあるジョゼフィーヌとの結婚を承認したくないこともあった。が結局、教皇が数日遅れて到着した時、ナポレオンは教皇に対して心穏やかでなかった。教皇がナポレオンの頭に冠を載せようとしたとき、ナポレオンは教皇の手から冠を取り上げ、自ら頭に載せたのだった。
ムッソリーニと教皇ピウス11世ラテラーノ条約でお互いを認め、バチカン市国の独立と統一イタリア王国の承認が取り引きされた。

ボルジア家:現代の常識からすると、15世紀のイタリアの教皇たちはとても教皇とは思えない人種だ。領土を維持するために戦争をし、政治的な暗殺を平気で行い(日本でも天皇の位をめぐって似たような歴史がある)愛人を作り、子供まで生ませ、精神的な関心事より、個人的な所有欲や血族のために行動していた。聖者などでは全くなく、イタリア的な政治家の権化だった。その最たる例は、教皇の歴史の中で最も腐敗に満ちた選挙によって選ばれたと言われる、ヒスパニア出身のロドリゴ・ボルジアだろう。1492年、教皇アレクサンドル6世となったかれの教皇庁は、他に類を見ないほど腐敗と不道徳に満ちていた。教皇在任中、愛人のバンノッツァ・カターネイを囲い、子供を数人もうけたが、いずれも良い話は伝わっていない。教皇は、恥知らずにもその全員を、画策して自分の子供にふさわしい地位につけた。しかしそんな彼の行為などに関係なく紀元1500年の大聖年には、キリスト教徒の巡礼者たちがローマに集まり、教皇を讃えたのだ。(なんと無関心な国民は権力の腐敗にも全く無知だったのだ。今も同じではないか)
アレクサンデル6世の息子のチェザレは、自分の兄弟を殺害し、教皇領の合併・拡大のために軍事遠征を行い、イタリア中を恐怖に陥れた。マキャベリは、この無慈悲で才覚のあるチェザレを一時、賞賛したことすらあった。ローマのテレベ川には、数えられないくらい彼に殺された死体が浮いていた。すべてにおいて悪質、巧妙な陰謀家だったチェザレだが、ボルジア家の仇敵ユリウス2世が1503年に教皇になってボルジア家の運命は決まった。領土剥奪。ヒスパニアへ追放。その4年後にチェザレは死んだ。チェザレの妹のルクレツィアは、気の毒にもボルジア家の残酷さ、情欲、強い金銭欲の権化として伝わっている。父アレクサンデル6世は近親相姦が言われるほど娘に執着していた。とてつもない豪華な生活を保証し、娘の夫にふさわしい男などいないと考えていた。それにもかかわらず娘は数回結婚している。夫の一人はチェザレに殺され、別の夫はアレクサンデルに性的不能と公表された。最後はフェツラーラ公アルフォンソ・デステと結婚したが、歴史を振り返ればルクレツィアは自分の意志とは関係なく、父と兄の陰謀の道具にされた部分が多かったかもしれない。(P31記事から)


[49]  ミラノ、フィレンツエ - 発言者:D  2005年2月1日(火) 01:45    返信
2005 124月
到着Milano初日朝カメオ商店の買い物40分がもったいないのでミラノ城見学にいくつもりだった地下鉄をMilano中央駅の見学をして地下鉄でDUOMOの一つ手前で降りて有名なブランド通りをひやかしで通った。200M。私のような貧乏市会議員には関係のないお店が並ぶが意外と朝11時前のためかさびれたかんじだった。そこから道に迷いながらトラットリアダピノというRONELY PLANET誌推薦「こんな安い心のこもった家庭料理の店は外にない。」という記事で探し当てた。が飯は12時から。しかたがないのでカップカステラに砂糖がまぶしてあるのとカプチーノで3Eだった。歩いてDUOMOに。裏側から見ると、おおーっと感動。だって表側は工事中だった。北側のAUTOGRILLでBEEFTAKOSとORENJIJUESE.約5E。これで昼飯済ます。KINGSBURGER結構うまい。GALLERIA VITTORIO EMANUELアーケードをぬけてスカラ座の前で写真。DUOMOに戻り内部見学。BARSERONAの聖家族教会ザグラダファミリアに似た雰囲気のミラノのDUOMOは世界で3番目にでかいらしい。NO1BATIKAN,NO2LONDON ST.POAL NO4FIRENNTUE だというからスペインでOPから離れて一人でバスに乗って行ったTREDOだったかの大聖堂は何番目か。よかったなあ。
次にVERONAによる。ここは別の阪急のパンフではOP1万円となっていた。今回の8日間99800円はかなりお買い得だ。 ROMIOの家からJURIETTAの家まで歩いた。世界でNO3古い円形劇場。日本では縄文時代だった2000年前のもので、補修工事をしていた。その後立ち寄った店。1割は高いが品物は良いと添乗員の鎌田さんがいうイタリアンマーケットではカミサンがかいまくっていた。ホテルはHORRYDAY という小さめな宿で鮭のGURILLがメインの夕食付き。白WINE 15E飲み易いが薄すぎる。水飲んでいるようだった。味噌汁を鎌田さんからもらった。この人バツイチ38才最近再婚。経験18年のベテラン。良く覚えている。今までは英語もあやしい添乗員が多かったが35人もの団体をうまくまとめている。帰ってからHPで見たが人気添乗員としてイタリアの旅を阪急旅行の記事に載っていた。
2005 125火
VENEZIA。 バスで島の入口までいき、船でCANAL DI FUSINA運河 から CANAL DELLA GIUDECCA運河 を通ってSAN MARCO 広場そばの船着き場へすぐにゴンドラに1舟6人乗って出発。30分くらいのる。現地ガイドを待つ間PONTE DE SOSPIRIためいきの橋の外から見る。 ガイドがきてSAN MARCO広場の解説。MILANOでは日本人GUIDEとITALIAN GUIDEの二人で城の説明。ITARIANはいるだけいないといけないらしい。ここではイタリアンGUIDEが一人日本語ぺらぺら。あんまり参考にならない話。LONLY PLANETを読んでいるとGUEDEは不要。GLASS FACTRYまで小用を我慢していたがトイレに行列がすごいのでやめた。でてきて中華5E以下の金額がMENUEにならぶ店で軽食、TOILET REST TIME.餃子小さい。4PIEACE3.5E 五目スープ4E.炒飯4E.URONG TEA1.5E 3人で25ECARD.RIALT橋方角を予測してでる。細い路地を迷いながら2回、道を聞きながら結局、CPO SS GIOVANNI E PAOLO教会に近いところまで行っていたので予定変更。先にこちらへ。2.5E 中は総督ドゥージェ25人の墓が教会の中に並ぶ。一人だけは墓が柵で踏まれないようにしているが、外は全部踏まれている。 絵画、彫刻、ステンドグラス。すべてが今まで見てきた教会の中でも素晴らしい。教会の椅子に座り込んで何一つ見物しないのはハイヒールで旅行に来たカミサンだ。時間と金の浪費をしている。出ると同じツアーの人が二人RIALT橋からきたようだ。聞くと、道に迷ってここがSAN MARCOですよねと言われた。そのくらい道に迷う。ここから橋でまでは一回聞いただけでついた。2Eといわれた粘土のおもちゃを5個5Eで買う。鎌田さん推薦のもの。橋のたもとでクリームたっぷりのココア4.5E サンドウィッチ5E 3人で25E。さっきの中華もここも12%(19%?)TAXのようなTIPのような。広場までは分かりやすい道で戻った。戻って分かったのはこの道が南北だったのを東西と勘違いして動いたのでI LOST direction. THE WAY TO RIALT.BUT WE COULD GET THE NEW PLEASUE.犬を連れた人の多さ。前を歩くおばさんが犬を散歩させている。日本語で犬の糞はちゃんと取れよと言ったそばから、犬が始めだした。しかしおばさん聞こえたかのように犬の糞を一応とった。 結構道路に糞が多い。Firenzeもおおいらしい。PALACE DUCALE 総督DUJEの宮殿の意味。11Eだったがすごい。もう一度来たい場所の一つ。VENEZIAのGUIDE BOOKを買ったがとてもたりない。写真を取りたかった。が足りないだろう。最後は時間が足りなくて駆け抜けただけ。もう一度来たらゆっくりしたいものだ。FIRENZEまで4時間途中トイレ休憩。AUTOGRILLがあったが敢えて有料トイレにいく。ガラガラできれい。
そのトイレの店、品数少なく潰れる寸前。AUTOGRILLも2件あるのもバカ。空いてるほうにまだ時間が10分くらいあるのでいってサンドイッチ茄子とトマトの3.1Eを買ってきた。これとカミさんが持ってきたミニカップラーメンとやきとりのかんづめ、おかゆ、もってきたうめかつお、結構うまかった。2.9Eのカンビール。もってきた日本酒つつましいが優雅な部屋食。HOLIDAYINN FIRENNZE 大きなきれいなHOTEL風呂にも今までの2件と違い非常の紐(これを引いてしまうと非常事態で救急車に乗せられ12時間検査漬けにされたと聞いた)という危険な紐もない。だがおゆを持ってきてほしいと9番にTEL。 COULD YOU GIVE ME HOT WATER ONE LITTER.OK.でまたされて20分。催促のTELをすると今度は生意気な女が370に電話しろとぬかす。ふざけんな。20分もまたせて別のところに電話しろとはなんだと最後には日本語で文句いって、ガチャン。370にかけてもでない。もう一度9番。別の男。370にというからI COULDNT CONNECT 370.SO YOU MUST CALL INSTED OF ME.といったらOK.でまた10分以上またされてやっとお湯がくる。都合1時間かかった。2Eあげるつもりだったが、遅いので1Eしかやらず。けんかするときの最後は日本語で。


[48]  フィレンツエ、ローマ - 発言者:D  2005年2月1日(火) 01:43    返信
2005 126水
FIRENZE近くのHOLIDAYINNからバスで市内へ230Eの観光税CHECK POINTで払う。個人はいくらか現地の日本人GUIDEも知らなかった。来年には倍になると鎌田添乗員がいっていた。最初が市内を展望するPIAZZALE MICHELANGELO VONALOTYのミケランジェロ広場にいった。市街が一望できるスポット。じっと見ると歴史が語りかけてくるようだ。ルネッサンスの活気を担った人々。教皇たちやメディチ家などの権力者たちの争いの中でふまれつづけながらも生活を、文化を練り上げてきた人々の喜びと悲しみがこの地でも聞こえてくる。すぐに革製品の店に寄って30分くらい待つのも苦痛なので近くのサンタクローチェ教会に脱出。スタンダールが感動で動けなくなったという聖堂は内部の一部が修復中だったがたぶんステンドグラスの美しさに感動したのかと思った。庭先へ出ると竜安寺の石庭のような静寂。壁画など破損したのを残ったものだけでも修復している展示室など洞窟に入り込んだような静寂だった。正面に出ると大きな彫刻を正面右手におく堂々としたサンタクローチェ教会正面でTOOK PICTURE.1E立ち飲み(バンコ)カプチーノであったまってからDUOMOの方角に向かう。外人の団体もGOLD SHOPなどにゾロゾロ。ツアーの宿命だ。
ベテラン添乗員の鎌田さんは厭な顔もしないで次の集合場所を教えてくれて感謝している。ふらふら行くと地図で大修道院かと思ったところがウフィツ宮殿だったのもDUOMOにいってからきがついた。FIRENNZEのDUOMO大聖堂は前に広場がないので中にはいるまで本当にここがDUOMOかと迷った。共和国広場からベッキオ橋にいったが、時間が足りずボーボリ庭園に入って中の人口洞窟の美女の彫刻の回りの見あげている怪獣のようなものを確かめることはできなかった。集合して昼飯つきOP。PISA観光OP12000円。食事をしないで庭園にいけばよかった。PISAは斜塔には昇る時間がなかった。旅行社ではなるべく昇って欲しくないようだ。斜塔が倒れたときのことが心配なんだそうだ。残念。洗礼堂のECHOは自分でやってみたかった。怒られるそうっだが、個人で来たときは挑戦したい。ビンチ村もPISAに近いようだ。あっというまに出発時間。FIRENNZEまで1h30m.夕食中華20E集合時間に少し時間があったのでACADEMIA美術館8EでDAVIDE像本物を見る。
20050127
FIRENZEからROMEへ8:15発13:00ごろ昼飯ROMEで。VATICANO,聖PIETORO大聖堂。今のヨハネパウロ2世はイスラムへの侵略だった十字軍を謝罪した。勇気ある法皇として尊敬できる。しかしながらその影響力は現代の皇帝であるUSAのBUSH JR.には通じない。あたかもBUSHはアビニョンの捕囚をした皇帝のように法皇の思いに逆らう9.11事件をイスラエルと組んで起こしたともいわれてる。VATICANOはムッソリーニと時の法皇の取引の結果生まれた国だ。歴史に残るヨハネパウロ2世の東西の和解を最後の審判に変えてしまいかねないBUSHをなんとかするには平和憲法の21世紀的新展開を。戦争したいための改憲ではない修正をこちら側から提起しなければならない。
システィーナ礼拝堂に行けなかったので25Eの分厚い本を買った。これはすごい。最後の審判もバッチリ見える。コロッセオ、トレビの泉、スペイン広場と行ってから定番のお買い物タイムなんと40分。買い物好きがいてさらに10分遅れた。OPのカンツーネ11000円、遅れたら損すると頭にきていたら客はわれわれ10数人のメンバーだけ。あとから2人づれがきていたくらい。歌手はエレクトーンひく女性も歌う別に男女。カンツォーネ。なかなか素晴らしい歌だった。ワイン飲み放題。3本は飲んだな。食事もまあまあ。大満足の夜だった。


[47]  ポンペイ、ローマの夜 - 発言者:diver ikeda  2005年2月1日(火) 01:42    返信
20050128
朝8:00ナポリ、ポンペイOP15000円。へ食事をして5分前集合と言っておきながら大をしてゆっくりしていたら気が付くと5分進めていた自分の時計で8時あわてて昨日のほうり出していたシャツをきて鞄を閉めて飛び出した。エレベータは遅いから階段を駆け降りる。100番台の部屋の下がロビーだからともう一段下るとさっき食べていた地下食堂。駆け登ると100番台客室廊下の先も部屋しか無さそう。えい。もう一度駆け降りる。やっぱり食堂。食堂の外から中に入れるよう声をI must hurry. Please open this door.と言っても開けてくれない。ぐるっとまわれという。もうパニック。ダットのごとくかけてすごい遠まわりしてホテル前に駆けていくとバスに乗り込んでいる。ロビーで係りが待っているというので再度ロビーにいって声をかけた。するとカミサンだけ来ていないと係りが待っている。とにかくバスの人にお詫びをとバスに乗り込む定刻2分オーバー。あれだけどたばたしてかろうじて2分オーバーならよくやった。しかしいっこうにカミサンこない。15分くらいして係りからこれ以上待てないと言われた。勿論結構です。と了解した。トイレに入っているらしい。普段から胃が小さいので朝は食べるとつらくなると言うくせに良く食べていた。昨日10分遅れたことに頭に来たのが自分にきた。さらに平気で時間に遅れても他人をまたせてトイレでもう少しと言ったらしいというところなど準備が悪い。早め早めに自分の体調と相談しておくべきだ。私は2分でも待たずに出てしまうのだと思っていたので15分も待たせて身が縮んだ。おかげで係りの人におわびに5E。FIRENZEではカミサンが散々市内自由散策した後にトイレに行ってバスを10分待たせて運転手にチップを10Eと言われてカミサンの気が利かないことに気がつかされた。もう言われる前に今回はかみさんの代わりに払っておいた。OP担当の係りには要らないと言われたがお詫びの気持ちだ。本当に恥ずかしい.2時間少しで途中雪がふるなか高速道路を南へ向かった。PONPEIは雨。遺跡は時間の都合で中の半分以下しか回れなかったが、シュリーマンが見つけたトルコのトロイ遺跡にくらべ色々な建物が残っていた。雨の中だが部屋のどこに雨が漏ってくるか、雨水の排水はどうか、興味深かった。現在の町の道路よりも遺跡の内部の方がずっと排水がきちんとできている。町の中の道路には一部に大きく水がたまっているのがざらにある。Itaryはインフラ整備がきちんと出来ていないのがハッキリしていた。ポンペイはトルコのエフェソスに近い遺跡の感じだった。食事はさっぱりした海鮮ナポリタン風スパゲッティだった。昨日飲みすぎたので水とカプチーノ4人で水は3Eを分けて払う。カプは2E.途中店でも飲んだが0.9から2Eくらい。高速のトイレも必ず20セントは必要。トイレだけの場所では50ントとしているところも多い。新宿にも有料トイレがあったが奇麗にしてくれているトイレは安心。気持ち良く払いたい。その後カメオの製作を見物。買い物40分。小さくても400Eもする。ナポリ市内観光。タマゴ城で降りて写真タイム。
続2:夜のROME.地下鉄A線は工事中で駅が9時に閉まるのでLIVEHOUSE FOLKSTUDIOを探して探して地下鉄B線COLOOSEOで降りて行くと名前は違うがGILDOという名前のWINE BARがあった。21:00からOPENという。FOLKSTUDIO WAS CLOSED.らしい。LONRY PLANETも情報遅いか。表通りVIA CAVOURに出て大京城酒楼という高そうな店があった。窓のMENUには1、2、3の皿 FURUTがついてALL INCRUDED全部込みで8Eとある。安いじゃん。さっきの路地裏の店リトランテでそれぞれの皿で5-10Eはしていた。入って1、FRYD VEGITABLE 2,BEEF 3,野菜炒飯 フルーツ枇杷他。2のMAIN DISHはしょっぱい。甘酢につけてなんとか食べた。BEER,CHAで12E.そうこうしているうちに9時15分GILDに戻る。でも食事はもう満腹。ここではBEER、ジュースだけで12E。演奏のCHARGEはない。NY JAZZVIREGEだっけ、あそこも20$くらいで感動させてくれた。そこでItaryでも期待したが演奏はしばらくしてPIANO演奏。下手ではないが感動する…

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